よかじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方與賀神社のお参りの記録一覧

與賀(与賀)神社(よかじんじゃ, 564年) 本殿, 幣殿, 拝殿, 楼門(重文), 三の鳥居および石橋(重文), 大楠, 太刀 銘 康(重文), 主祭神は与止日女神, 旧県社




鮮やかな朱の楼門が目立ちますが、境内は差程広くはありません。少弐氏時代から高木氏、竜造寺氏、鍋島氏にかけて篤い庇護を受けていました。

慶長八年(1603)奉納の三の肥前鳥居(国重要文化財)一の鳥居は1㌔以上離れています。二の鳥居も離れていた為立ち寄りませんでした


社号標

文化七年(1810)奉納の燈籠


南北に1基づつあり、元禄十六年(1703)
「享保四年(1719)と刻まれています。云昔、前の宮川で幼児がたびたび川そう(かっぱ)に引き込まれ水死したので石灯篭一対を川の中に建立し、今後この燈篭が立っている間は絶対に子どもをさらわないと「川そう」に誓わしめ、以来その難をまぬがれ子どもの水死はなくなったと伝えられています。

慶長十一(1606)年鍋島加賀守豊臣朝臣直茂造立の石橋(国重要文化財)


文化四年(1807)奉納の狛犬


楼門(国重要文化財)


随神様


手水舎

手水盤


亀像

文久三年(1863)奉納の神馬像


宝暦九年(1759)造営の拝殿

扁額

宝暦八年(1758)造営の本殿

境内社 少貮神社

扁額

少貮神社由緒書

肥前狛犬4体

手水盤

境内社鳥居


享和元年(1801)奉納の狛犬


境内社 寶寿森稲荷神社

扁額

本殿

境内社 天満宮

燈籠

境内社 佐太大明神・粟島大明神

扁額

青木月斗句碑 「我に迫る二千年の楠若葉」

御神木


境内社鳥居

大智福徳恵比須

百福大黒天

境内社 佐賀恵比須賀神社


恵比須像

佐賀恵比須神社由緒書

田中冠人句碑「青空を頤でしゃくって面浮立」

樹齢1100年の御神木

【肥前國 古社巡り】
與賀神社(よか~)は、佐賀県佐賀市与賀町にある神社。旧社格は県社。祭神は與止日女神(豊玉姫命)。楼門、三の鳥居及び石橋は国指定の重要文化財。
社伝によると、創建は欽明天皇25年(564年)で、当初は土地開拓の鎮守神であった。鎌倉時代には「与賀庄鎮守宮」と呼ばれ、1212年に北条義時が社殿を再興、1245年に北条経時が勅により祭祀の礼式を定めたとされる。1251年に与賀郷の地頭・少弐資能が洪鐘一口を寄進した記録が残る。室町時代には1482年に大内氏に敗れた少弐政資が当地に逃れ与賀城を築き、当社を鬼門の鎮守として社殿を修復した(この時造立した楼門は、佐賀県の最古の建築物で、国指定の重要文化財となっている)。少弐氏没落後、当地領主の龍造寺氏、鍋島氏からの崇敬を集めた。肥前佐賀藩の藩祖・鍋島直茂は朝鮮出兵の際に武運長久を祈願し、その報賽として社殿拝殿、神輿を寄進し、社領を寄進した。現存の本殿、拝殿は6代藩主・鍋島宗教、7代藩主・重茂が造営している。明治に入り、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR長崎本線・佐賀駅の南方1.8kmの佐賀城址の北西にある。大通り(佐大通り)から100m以上入った閑静な住宅街の中にある。境内は県社としてはコンパクトな部類。ただ、境内入口から国重文の三の鳥居、石橋、楼門が続いたり、推定樹齢千年超の古巨木がお化け級を含め3本あったり、たくさん句碑がたっていたりと、古社の情緒を感じさせてくれる。見どころが非常に多い。
今回は、佐賀県の旧県社で、楼門、三の鳥居及び石橋は国重文であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、雨降りであるにもかかわらず、自分以外にもぱらぱらと参拝者が訪れていた。

境内西端入口の<三の鳥居>と<社号標>。石造の肥前鳥居は低く安定感のある外観。この<三の鳥居>は初期の肥前鳥居として知られている。1606年の寄進で、国指定の重要文化財。
新しい社号標には「縣社 與賀神社」とある。

三の鳥居の扁額。「與賀荘正一位 與止日女大明神」とある。

水路に架かる<石橋>を渡る。1606年に鍋島直茂の朝鮮出兵からの無事の帰還を祝って寄進されたもの。石造反橋で、橋脚6基18本、擬宝珠(10個)高欄付。国指定の重要文化財。

石橋を渡り切った左側にある<狛犬>。サイズは小さめ。

石橋を渡り切った右側にある<狛犬>。かなり個性的な表情。

石橋を渡り切ったところにある<楼門>。安土桃山時代の建立。総丹塗で、正面三間、側面二間、入母屋造、銅板葺。国指定の重要文化財。

楼門をくぐったところからの眺め。

楼門をくぐってすぐ左側にある<手水舎>。

参道左手にある<亀の石像>。

参道右手にある<石造神馬像>。佐賀県独特のものみたい。

<拝殿>全景。江戸時代中期1758年の建立。入母屋造、軒唐破風付、銅板葺。緑色の銅板屋根がきれいな堂々たる造り。

<拝殿>正面。「與賀大明神」と書かれた金色の扁額。注連縄の掛け方も当地独特なのかな。

ここから境内を廻って行く。まず楼門の南側にある、太田耕人の<句碑>。

境内南側にある<少弐神社>。

少弐神社から見た<社殿>全景。
当社の社殿(本殿・幣殿・拝殿)は、国の登録有形文化財となっている。

少弐神社から見た境内東側。幹が極太の巨大なクスノキが目を引く。
このクスノキは、推定樹齢1,400年、樹高20.5m、根周り25.5m、目通り9.8m。

境内南端に並べられた石造群。もともとは<狛犬>かな。

境内南端東寄りにある<宝壽稲荷神社>の鳥居。

<宝壽稲荷神社>の社殿。

境内南端に並べられた石製小祠群。

宝壽稲荷神社の隣に建つ<粟島神社・佐太神社>(左)と<天満宮>(右)。

巨大なクスノキの前面に立つ、青木月斗の<句碑>。

青木月斗の句碑前から見た<幣殿・本殿>。幣殿は切妻造。本殿は1758年の建立、五間社流造、内外に精巧な彫刻が施されている。

本殿の左側(北側)に立つクスノキ。こちらは推定樹齢1,100年。

本殿左側のクスノキの前面には、田中冠人の<句碑>が立っている。

境内の北東端に建つ<佐賀恵比須神社>。

境内北端に建つ<社務所>。御朱印はこちら。

楼門の横にもクスノキの古木が立っている。こちらも推定樹齢1,100年。

最後に、境内入口の楼門・石橋・三の鳥居。国重文三連発。(^▽^)/

564年創建と伝わる。
鎌倉時代は与賀庄鎮守宮とされ、1212年に北条義時が社殿を寄進している。
1482年少弐政資が与賀城を築いた際、城の鬼門鎮守として社殿が再建された。
現在の本殿・拝殿は1758年に佐賀藩6代・鍋島宗教、7代・重茂が造営したものである。
楼門は室町時代の建築で重文。三の鳥居及び石橋は佐賀藩初代藩主・鍋島直茂の寄進で重文指定されている。

拝殿

拝殿

拝殿

拝殿

拝殿・本殿

拝殿・本殿


本殿

本殿

三の鳥居

石橋

石橋・楼門

石橋・楼門

楼門



少貳神社

宝寿森稲荷神社

宝寿森稲荷神社本殿


天満宮


佐太神社・粟島神社

佐賀恵比須神社


神木の大楠
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ














































3
0