しじょうなわてじんじゃ
四條畷神社の編集履歴
ご由緒
楠正行は楠正成の嫡男であり正成公の大楠公に対して小楠公と申し上げる卿は延元元年(1336)湊川へ出陣をせられる父君と櫻井の駅にて決別されたが時に御年十一歳爾来母君に考養を尽くして臥薪嘗胆読書練武に励み報恩の至情を捧げた正平二年(1347)12月後村上天皇に拝謁国難に殉せん事を誓い如意輪堂の扉に鏃をもって決死の和歌を遺された。
正行卿一族は寡兵よくこれを迎え撃ち獅子奮迅せられたが満身に創を受け遂に殉節せられた時に御年二十二歳の青年であったこの正義に燃えたる小楠公の事績と吉野朝史の一齣は四條畷に永く留められ万古に変えぬ飯盛山は青少年の徳義昴揚を叫び老松は史蹟を語っている。
編集前:楠正行は楠正成の嫡男であり正成公の大楠公に対して小楠公と申し上げる卿は延元元年(1336)湊川へ出陣をせられる父君と櫻井の駅にて決別されたが時に御年十一歳爾来母君に考養を尽くして臥薪嘗胆読書練武に励み報恩の至情を捧げた正平二年(1347)12月後村上天皇に拝謁国難に殉せん事を誓い如意輪堂の扉に鏃をもって決死の和歌を遺された。
正行卿一族は寡兵よくこれを迎え撃ち獅子奮迅せられたが満身に創を受け遂に殉節せられた時に御年二十二歳の青年であったこの正義に燃えたる小楠公の事績と吉野朝史の一齣は四條畷に永く留められ万古に変えぬ飯盛山は青少年の徳義昴揚を叫び老松は史蹟を語っている。
巡礼
神仏霊場巡拝の道第61番(大阪第20番)
なにわ七幸めぐり
垣の外側、参道の右手に楠天神社。(祭神・菅原道眞 配祀 日吉大明神 嚴嶋大神)
境内正面に拝殿があり、拝殿の左手には、当社祭神・楠木正行公の母・久子を祀った御妣(みおや)神社がある。
編集前:神仏霊場巡拝の道第61番(大阪第20番)
なにわ七幸めぐり