ちょうにちじ|曹洞宗|醫王山
朝日寺の編集履歴
ふりがな
ちょうにちじ
ご由緒
『当寺は初め、木曾義仲が信濃に祈願所として建立、天台宗であったが、義仲討死の後、妻巴御前が一族をひきいて寺号山号をもって越後に来り、長岡市富岡町に、更に三島郡越路町十楽寺等の地に歴徒し、現在越路町大字朝日に再建した。
応仁二年(1468)曹洞宗に改め、開山樹山庭柏大和尚が北蒲原郡安田町観音寺より来たって堂宇を再造す。永禄十年(1567)越後管領上杉謙信寺塔を興し、寺禄を寄付し旧観を改む。慶長元年(1596)災に羅り、慶長元和のころ(1596~1623)廣徳院殿蓮器現恕庵主慚餘を修めて祖燈を継ぎ、宝暦明和のころ(1751~71)十八世光潭和尚中興し寛政四年(1792)再び災に遭う。現在の建物は十九世紀本丈和尚が寛政十年(1798)に建立したものである。』
「新潟県寺院名鑑」より!
本尊 十一面観世音菩薩
寺宝 熊野権現
編集前:『当寺は初め、木曾義仲が信濃に祈願所として建立、天台宗であったが、義仲討死の後、妻巴御前が一族をひきいて寺号山号をもって越後に来り、長岡市富岡町に、更に三島郡越路町十楽寺等の地に歴徒し、現在越路町大字朝日に再建した。
応仁二年(1468)曹洞宗に改め、開山樹山庭柏大和尚が北蒲原郡安田町観音寺より来たって堂宇を再造す。永禄十年(1567)越後管領上杉謙信寺塔を興し、寺禄を寄付し旧観を改む。慶長元年(1596)災に羅り、慶長元和のころ(1596~1623)廣徳院殿蓮器現恕庵主慚餘を修めて祖燈を継ぎ、宝暦明和のころ(1751~71)十八世光潭和尚中興し寛政四年(1792)再び災に遭う。現在の建物は十九世紀本丈和尚が寛政十年(1798)に建立したものである。』
「新潟県寺院名鑑」より!
本尊 十一面観世音菩薩
寺宝 熊野権現
ご祭神/ご本尊
本尊 十一面観世音菩薩
見所
道幅少し狭目です車は気をつけてください
アクセス
朝日酒造様から徒歩5分くらい
駐車場
あり
山号
醫王山
創始者/開山・開基
開山 樹山庭柏大和尚 開基 木曽義仲 巴御前