いそのにますたくむしたまじんじゃ
石園座多久虫玉神社のお参りの記録一覧

石園座多久蟲玉神社(龍王宮)は、延喜式神名帳に式内社「石園坐多久豆玉神社」と記されています。かつてこのあたり一帯が磯野領でした。これより六〇〇メートルほど西に行くと、静御前の母儀野尼の故郷である儀野村(現在大和高田市儀野町)です。
白拍子となった静御前は、源義経に見初められ、やがて源頼朝に追われる身となります。捕らわれ鎌倉に送られた静御前は、頼朝の妻政子の情けにより京に帰ることができますが、心疲れて病気になり、母の故郷である大和高田市磯野に帰ってきます。静御前自ら病気平癒を祈った「笠神の杜」の明神さんは、現在この境内に移され祀られています。短い生を終えた静御前の墓は、塚跡として礒野に残っています。

#石園座多久虫玉神社 #龍王宮
ご祭神はタケタマヨリヒコの命、タケタマヨリヒメの命、トヨタマヒコの命、トヨタマヒメの命。
#建玉依比古命 #多久虫玉命
パンフによれば、カミムスビの神の御子で、別名タクムシタマの命、アマノミケモチの神、タオキホオイの命。
このうち、アマノミケモチの命の名は、先代旧事本紀にも出てくる。やはりカミムスビの尊の御子で、”紀のあたい”という氏族の先祖とある。
#手置帆負命
タオキホオイの命も先代旧事本紀に登場するが、彼については古語拾遺の方が詳しい。フトダマの命が率いる5柱の神々の1柱で、たいがいヒコサシリの命とペアで行動する。タオキホオイの命は讃岐の国の忌部氏、ヒコサシリの命は紀伊の国の忌部氏の祖神とのこと。
#天御食持神
先代旧事本紀の訳注によれば、紀伊国造系図という書物に、アマノミケモチの命の別名がタオキホオイの命と書かれているらしい。また、ヒコサシリの命は彼の御子だそうだ。ただ、あちらだとアマノミケモチの命はカミムスビの尊の御子ではなく、ひ孫になっているとか。
ただ、ヒコサシリの命の親ならば彼もまた紀伊の国の忌部氏の祖神といえ、いずれにせよ紀伊の国とはゆかりが深そうだ。
#建玉依比売命
パンフによれば、タケタマヨリヒコの命の妃。家庭の平和と繁栄を守る神様で、彼女の恩恵を受けない者は1人としていないと。
奈良県のおすすめ2選🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
12
0