こうふくじ
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興福寺ではいただけません
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興福寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月01日(月)
参拝:2023年2月吉日
【肥前國 古刹巡り】(長崎さくる(※)モデルコース① 1寺目/ 全6寺)
興福寺(こうふくじ)は、長崎県長崎市寺町にある黄檗宗の寺院。山号は東明山。本尊は釈迦如来。日本最古の黄檗宗の寺院で、別称は「あか寺」、「南京寺」。長崎に4つある唐寺の1つ。また同じ長崎市内の崇福寺、福済寺と合わせ「長崎三福寺」と称される。本堂(大雄宝殿)、旧唐人屋敷門は国指定の重要文化財。
江戸時代前期の1624年、中国僧の真円により創建。福建省、浙江省、江蘇省出身の信徒が多いため「媽祖堂」が置かれていて「南京寺」とも称された。
当寺は、長崎電気軌道・市役所駅の南東400mの小高い場所にある。「寺町通り」という寺院が立ち並ぶ細い一本道の山側にある。立派な山門をくぐると境内は一段高くなっていて、本堂前の広場を取り囲むように伽藍が建ち並んでいる。見どころはやはり異国テイスト満点の伽藍で、建物も装飾も仏像群もすべて中国明朝の香りが溢れ出ていて、いかにも長崎らしい風情を感じられる。
今回は、本堂(大雄宝殿)、旧唐人屋敷門が国重文であることから参拝することに。参拝時は休日の昼過ぎで、長崎の有名観光スポットということもありぱらぱらと参拝者が訪れていた。
※「さくる」とは長崎弁で「街をぶらぶら歩く」という意味らしい。「長崎さくる」は長崎国際観光コンベンション協会が主催している観光促進活動で、長崎市内に看板が散見される。
境内西端入口の<山門>。三間三戸八脚門、入母屋造、単層屋根、総朱丹塗り。
(写真では見えないが)上部の扁額「初登寶地」は隠元禅師の御書。
(写真では見えないが)上部の扁額「初登寶地」は隠元禅師の御書。
山門前に建つ<長崎市黒八十八箇所霊場>の祠。
山門をくぐったところにある<隠元禅師像>。
山門をくぐって右手の階段を登って進むと、左手正面に<大雄宝殿>が現れる。
江戸時代前期の1632年に黙子如定禅師が建立、現在の建物は1883年の再建。
中国工匠による純粋の中国建築。国指定の重要文化財。
江戸時代前期の1632年に黙子如定禅師が建立、現在の建物は1883年の再建。
中国工匠による純粋の中国建築。国指定の重要文化財。
大雄宝殿に向かって左手に見えるのが<鐘鼓楼>。写真は鐘鼓楼の裏側。
江戸時代に大火で焼失した後、1691年に再建。
江戸時代に大火で焼失した後、1691年に再建。
大雄宝殿に向かって右手に見えるのが<三江会所門>。明治初期に江南、浙江、江西の三省出身者が設立した集会所。門以外は米軍が投下した原爆で大破し、門だけが遺存されている。豚除けの高い敷居が中国風。
<大雄宝殿>の正面。上部の扁額には「大雄寶殿」とある。
<大雄宝殿>の入口。1階屋根軒先の扁額の「航海慈雲」は、東シナ海の荒波を越えて来た華僑たちの思いかな。
1階上部に並んで懸けられている3つの扁額。
写真では見えないが、扁額上部はアーチ型になっていて「黄檗天上」という中国の建築様式とのこと。
写真では見えないが、扁額上部はアーチ型になっていて「黄檗天上」という中国の建築様式とのこと。
大雄宝殿の<氷裂式組子の丸窓>。こちらも中国の建築様式。
大雄宝殿の左側のエリアを見て廻る。こちらは<鐘鼓楼>正面。
二階建て上階は梵鐘を釣り太鼓を置いている。階下は禅堂としている。
二階建て上階は梵鐘を釣り太鼓を置いている。階下は禅堂としている。
鐘鼓楼内の<梵鐘>。
鐘鼓楼から見た<大雄宝殿>。反り返った屋根が中国っぽい。
鐘鼓楼の近くにある<旧唐人屋敷門>。桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺。
1689年に完成した広大な唐人屋敷に遺存した門を1960年に移設してきたもの。国指定の重要文化財。
1689年に完成した広大な唐人屋敷に遺存した門を1960年に移設してきたもの。国指定の重要文化財。
大雄宝殿の左隣に建つ<媽祖堂>。江戸時代前期の建立で、当寺最古の建物。
江戸時代、唐船に祀る守護神の媽祖小像を在泊中、安置した堂宇。
江戸時代、唐船に祀る守護神の媽祖小像を在泊中、安置した堂宇。
入口には「海天司命」の扁額。
大雄宝殿の右隣の建物に移って、こちらは<庫裏>。御朱印はこちら。
庫裏の入口に吊り下げてある<魚板>。寺院の衆に飯時などを告げた江南の鱖魚(けつぎょ)の魚鼓。こちらは日本に唯一残る明朝のものとのこと。
貼ってあった1912年(明治45年)の当寺の境内図。これはこれで見た目キレイ。
<三江会所門>を抜けたところにある庭園「東明燕(とうめいえん)」。江戸時代に造られたもので中央の池は「黄檗池」と呼ばれる。
三江会所門の奥、境内南西部にある堂宇の門。元は日本三聖堂の1つ「中島聖堂」の遺構「大学門(杏壇門)」。
大学門の奥にある、同じく中島聖堂の聖廟「大成殿」。
大成殿には「萬世師表」の扁額。1839年の元和縣文学士・韓曜の書といわれる。字体が美しい。(^▽^)/
すてき
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