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霧島東神社ではいただけません
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霧島東神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月08日(水)
参拝:2023年1月吉日
【日向國 式内社巡り】
霧島東神社(きりしま・ひがし~)は、宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田にある神社。式内論社で、旧社格は県社。主祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、相殿神は天照大御神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鵜葺草葺不合尊、神日本磐余彦尊。旧称は「霧島東御在所権現」で、霧島六所権現の1社(5/6)。
社伝によると、第10代崇神天皇の御代(紀元前97年~紀元後30年)の創建。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 諸県郡 霧島神社 小」の論社となっており、他の論社として霧島岑神社(宮崎県小林市)、東霧島神社(宮崎県都城市)、霧島神宮(鹿児島県霧島市)がある。天暦年間(947年~957年)に天台僧・性空上人が高千穂峰の周囲6カ所に鎮座する神社の傍らに別当寺を建立し、のちに霧島六所権現、霧島修験と呼ばれる神仏習合の霊場として開山した。当社は「東御在所之宮」と称し、別当寺として錫杖院を有し最盛期には360名以上の山伏行者を擁した。度重なる霧島山の噴火に社寺造営を重ね、室町時代の1486年の造営の際、圓政法院を中興として真言宗に改め、以降24世の別当職が続き、南九州最大の修験道根本道場として崇敬を集めた。明治に入り神仏判然令、修験道廃止令により錫杖院を廃止し、社名を現社名に変更した。近代社格制度のもとでは県社に列格した。
当社は、JRえびの高原線・高原駅の南西5kmあまりの霧島山の中腹、高千穂峰の東方4kmの場所にある。境内はコンパクトだが、社務所や駐車場からは眼下に御池を中心にした美しい風景が広がり、そこから軽く林間を登って社殿に辿り着くと神聖な空気がたちこめていて、かつて修験者が多く集まっていたのにも納得ができる。
今回は宮崎県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の夕方で、遅い時間にも関わらず、何組もの参拝者がぱらぱらと訪れていた。
境内東端入口全景。長いくねくね山道の突き当りにある。
参道右側に社務所などの建物が並んでいる。
こちらは<神楽殿>かな。(。´・ω・)?
階段のスタート地点にある<鳥居>。
鳥居をくぐって階段を少し登った右側にある<手水舎>。
参道をどんどん登って行く。
参道左側に現れる<祓所>。
参道右側の<開山性空上人>の石碑。
階段を登り切ったところにある<神門>。
<神門>正面。
神門をくぐって、参道右側にある<授与所>。御朱印はこちら。
授与所前から社殿方向を望む。
参道左側の境内社。
参道進んで左側の門守社。
右側の門守社。
いよいよ階段を登って社殿に向かう。
<拝殿>全景。朱色の塗装がパリッとした美しい拝殿。
<拝殿>正面。扁額には「東霧島山」と書いてあるのかな。(。´・ω・)?
拝殿から振り返って境内全景。高木に包まれた神聖な空気感がいい~♪(o^―^o)
拝殿後ろの<本殿>。左側はその脇社。
拝殿の左側には祈願者昇殿口がある。
本殿の右側にも脇社がある。
鳥居近くにある境内社を見て廻る。こちらは一番低い所にある境内社。
少し高いところにある境内社。
3社の中では最も高いところにある境内社。忍穂井の社かな。
最後に、境内入口の谷側に見える景色。霧島山東麓の<御池>が見える。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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