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れんだいじ|日蓮宗一条山

蓮台寺の編集履歴
2021年12月07日(火)
熊本県 内牧駅

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超第六天魔王ニキ
2021年12月07日 17時58分

ご由緒

明治以前より、蓮台寺の名で知られているものの、なぜか住職が長居せずという。よって開山も不詳。明治中頃、平野の鬼子母神として名高い菊池市興福寺の本光院日遠は名祈祷の噂が高かったので、信徒一同は談合して蓮台寺に迎える。当時な蓮台寺は著しく荒廃していたが、日遠はこれを復興し、昭和39年に現在地に移転した。
敷地内3,600坪、山頂には昭和51年に落成した、御宝殿あり、また等身大の黄金の釈尊像、その両脇に印度渡来の釈尊像2体を安置。
樹齢100年の大杉や、一木五体の竜神木がある。

編集前:開基年代は不明。第65代花山天皇の頃(984~986年)、新古今和歌集や後撰和歌集等で知られる女流歌人・檜垣が、晩年、肥後国白川のほとりのこの地に草庵を結び、観音像を安置して信仰の日々を過ごしたのが寺歴の始めという[1]。 このことから寺は「檜垣寺」とも呼ばれ、寺には檜垣にまつわる「檜垣の塔」「檜垣媼像」などが伝わる。

檜垣については、この地で井戸の水を汲んで岩戸観音に日参したと言われ、また、三十六歌仙の一人で清少納言の父であった清原元輔が肥後国司であったとき、檜垣が元輔と交わした歌、「年ふれば わが黒髪も 白川の 水は汲むまで 老いにけるかな」「白川の 底の水ひて 塵立たむ 時にぞ君を 思い忘れん」はこの地で詠んだとされる。

正保年間(1645~1648年)、顕空文海上人が総本山禅林寺から来て寺の再興に努め、寛文6年(1666年)、中興開山となる。寛文11年(1671年)には、熊本藩主・細川綱利より寺領及び恵心僧都の手になる阿弥陀仏等の寄進を受け、興隆した。

寛政年間、当時の住職であった明空上人が白川の氾濫による死者の供養のため、千日念仏行脚の上、境内に千体の地蔵を安置し、これにより「千体地蔵寺」とも呼ばれた。
また、熊本藩最初の富講(富籤)興行は、浪人・平塚藤右衛門の願いにより、元文2年(1737年)、この寺の境内で行われたという。

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