しらはたじんじゃ
白旗神社の編集履歴
郵便番号
244-0803
ご由緒
由緒 当神社は源頼朝公薨じて百三年後の乾元元年 (紀元一九六二年 西暦一三〇二年) 九月九日鎌倉鶴岡の相承院の前住元智が勧請したもので明和六年 (紀元二四二九年 西暦一七六九年) 十月十四日には相承院を通じ、みたましろとして「右大将家 (頼朝公) の御鬢髪三筋」を送られた (東福寺所蔵文書) 東福寺の神事奉仕は創祀以来凡そ五百七十年に及んだ。
東福寺の鎮守として発足した当神社は、江戸時代には平戸村の鎮守となり (新編相模風土記) 明治六年 (紀元二五三三年 西暦一八七三年) 十一月十日には村社、昭和十四年九月二十日には幣帛供進村社となったが大東亜戦争後の昭和二十八年九月十五日に県知事の認証を受け新発足して宗教法人となり神徳いよいよ明らかである。因みに現社殿は新築され昭和七年四月十日竣工したものである。昭和五十四年屋根葺替一月十日起工四月二日完成。平成二年十一月御大典奉祝記念として玉垣築造。
編集前:由緒 当神社は源頼朝公薨じて百三年後の乾元元年 (紀元一九六二年 西暦一三〇二年) 九月九日鎌倉鶴岡の相承院の前住元智が勧請したもので明和六年 (紀元二四二九年 西暦一七六九年) 十月十四日には相承院を通じ、みたましろとして「右大将家 (頼朝公) の御鬢髪三筋」を送られた (東福寺所蔵文書) 東福寺の神事奉仕は創祀以来凡そ五百七十年に及んだ。
東福寺の鎮守として発足した当神社は、江戸時代には平戸村の鎮守となり (新編相模風土記) 明治六年 (紀元二五三三年 西暦一八七三年) 十一月十日には村社、昭和十四年九月二十日には幣帛供進村社となったが大東亜戦争後の昭和二十八年九月十五日に県知事の認証を受け新発足して宗教法人となり神徳いよいよ明らかである。因みに現社殿は新築され昭和七年四月十日竣工したものである。昭和五十四年屋根葺替一月十日起工四月二日完成。平成二年十一月御大典奉祝記念として玉垣築造。
駐車場
参拝者用駐車場は無し
トイレ
なし
参拝所要時間
10分
参拝料
なし