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境内・文化財
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写真

三つ子石の近くにあった祠
ため池の神様をお祀りしているのでしょうか
積んだ石の上の佇まいが龍神系に感じました

"牛岩"
『昔、牛が倒れていたので、里人たちがこれを葬って墓標代りに大きな石をのせておいた。何百年かたって、ある人がこれを手洗鉢にしようと掘り出して、つちでポンとひとつち打ちこむと、鮮血がほとばしり出たので、牛石と呼ばれるようになったという。』(『三木町史』より)

左側が"三つ子石"
くびれたところが縄をかけた跡と言われています
天辺に小さな石像があります
隣の丸いのは"牛岩"
石を背負った子どもというのが「雷八幡神社」の"磐石を背負った童子🧒"と繋がります
子どもの🎂1歳の誕生日に「一生食べるのに困りませんように」と"一升餅"を背負わせて歩かすという風習も連想されます
また、三木町井上の立石地区には三つになる子どもが持ってきた石が大石に育った、という伝説があるそうです
伝説の内容は違えど、三歳の子どもと大きな石、が意味するものが何かあるのでしょうね…


『三つ子石
三つ子石池の西方の池畔に巨大な岩が、居すわっている。 伝えによれば、まま子いじめをする悪い母親がいた、この母親は信仰心はまったくなかった。ある日、 幼児に「この岩を背負って歩け」と命じた。 幼児はしかたなく、大きな岩に縄をかけて背負うと、不思議なことに、この大 きな岩が軽々と背負えて、まま母のいうとおりに現在この岩があるところまで運んでこられた。 母親は恐れをなして、これは、ひとえに熊野権現の加護であると改心して、ひたすら信仰をするようになったという。 それ以後、この岩を「三つ子石」と呼ぶようになった。 今も子どもが背負った時についた縄の跡が残っているという。 また一説には、熊野清光という豪力の武士が、熊野権現の霊夢によって、この岩を運んだという伝えもある。
三木ふるさと自然のみち
三木町』

『三つ子石池
水源を吉谷川(吉田川)に求め、堤高9m、 堤長550m、 貯水量364,000t、満 水面積 12.13ha、かんがい面積 78.5haである。 築造起源は不明であるが、江戸初期に改修されている。最近では、昭和60年にこの池の樋門の改修工事が行われ、その時掘り出されたゆる木や樋門にはすべて頑丈な松材が用いられていた。 樋門の底には松の丸太がしかれ、その上に三方をとめた溝型の樋が組まれ、上ぶたには厚い盤上の板が並べてあった。このふたの一番最初の裏側に江戸末期に改修工事を行ったことが記録されており、当時の池の水利関係者や工事責任者名、また普請奉行の名が記され、安政3年(1856) とあ る。
池の名は、西畔に巨大な石があり、この石を里人たちが三つ子石とよんでいたことによると伝えられている。
三木ふるさと自然のみち
三木町』
椀貸し伝説の塚もあるそうです

「田中雷八幡」の西側には"三つ子石池"があり、ここにも不思議な伝説が残っています
左奥に「雷八幡神社」の杜、その右に東の"天空の鳥居"がある「嶽山」が見えます

忠魂社

珍しい虹色が出ました


塚をしっかりと掴んでいます

御本殿奥に伝説の霊石を埋鎮した「雷塚」
後ろの木は激しく絡み合った☯
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