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【三木町散歩✽雷八幡と三つ子石】
白山、鰐河神社と豊玉姫命と縁の濃い三木町は古墳や寺社が多く、古くから霊的要所であったのではないかと思われます
遠くから見えた立派な社叢に惹かれて、ふらりと参拝してみました
こんもりとした杜が遠くからでも目に止まります
讃岐山脈も近くなり、山と里の間、自然豊かな場所です
北側から
『田中雷八幡神社』
モダンな横書きの社号標
南側から
一ノ鳥居
注連柱
二ノ鳥居
カッコいい朱塗り、木肌を活かした鳥居です
木の鳥居の西側に社叢への入り口があります
とにかく広く大きな森
他の古い神社も、整備される前はこのように立派な鎮守の杜に囲まれていたのだろうと想像しました
木の鳥居から参道を振り返る
立派な随神門
『雷八幡神社御由緒記
祭 神
応神天皇
仲哀天皇
神功皇后
竹内宿称命
別雷命
由緒
持統天皇二年(六百八十八年・白鳳時代)旧暦春二月から長期にわたり、雷 雨の日が続き農作業は困難を極め、凶作のため人々は嘆き悲しんでいた。 時の庄司(庄屋の意) 八津八太郎は常々信仰深い人であったが、この有様にいたく心を痛められ、清き土を盛り神壇を設け「淋雨消散(りんうしょうさん)、雷電鎮除(らいでんちんじょ)」 の願文を捧げて祈ること七昼夜、満願の日、一人は白馬をひき、一人は磐石を背負った二童子が現われ、八太郎に「汝の至誠は神に通じた故に その威徳を示す」と告げると同時に雷が大きく鳴り響き、大きな火の玉 が封土の壇上に落ち光明四方に輝き、神童は「これで雷難は除かれた」 と告げ紫雲たなびく中を白雲に乗って姿を消された。雷雨は止み、日光 は八太郎の頭上に輝いたという。八太郎は歓喜して人々と共に、壇上に 残された霊石を封土の中央に埋鎮し、今も尚人々が崇めているのが即ち 雷塚である。前方に御神殿を建て雷の宮と称し、特に「雷災退除」の神 として崇敬篤く、その神符を持てば天雷の難を除くと伝えられている。 後、承平六年(九百三十六年 藤原時代前期)に社殿を大改修し、応神天皇 他四柱を勧請し、雷八幡宮と改称して一郷一社の氏神様となった。 現在の本殿は明治十一年改築、幣殿、拝殿は昭和十年改築、このとき旧拝殿を移設して絵馬殿にし、あわせて御神庫を創建した。』
境内図
手水舎
かわいいカエルさんがいました🐸
瓶を持っているのでしょうか
鶴とカメ…?外国人っぽい?
とにかく龍です👍
ゴボウ注連縄
元は拝殿だった絵馬殿と地神社
出雲龍蛇社
鰹木2つなので女神様?
絵馬殿と出雲龍蛇社の間くらいで撮影
御本殿奥に伝説の霊石を埋鎮した「雷塚」
後ろの木は激しく絡み合った☯
塚をしっかりと掴んでいます
珍しい虹色が出ました
忠魂社
「田中雷八幡」の西側には"三つ子石池"があり、ここにも不思議な伝説が残っています
左奥に「雷八幡神社」の杜、その右に東の"天空の鳥居"がある「嶽山」が見えます
『三つ子石池
水源を吉谷川(吉田川)に求め、堤高9m、 堤長550m、 貯水量364,000t、満 水面積 12.13ha、かんがい面積 78.5haである。 築造起源は不明であるが、江戸初期に改修されている。最近では、昭和60年にこの池の樋門の改修工事が行われ、その時掘り出されたゆる木や樋門にはすべて頑丈な松材が用いられていた。 樋門の底には松の丸太がしかれ、その上に三方をとめた溝型の樋が組まれ、上ぶたには厚い盤上の板が並べてあった。このふたの一番最初の裏側に江戸末期に改修工事を行ったことが記録されており、当時の池の水利関係者や工事責任者名、また普請奉行の名が記され、安政3年(1856) とあ る。
池の名は、西畔に巨大な石があり、この石を里人たちが三つ子石とよんでいたことによると伝えられている。
三木ふるさと自然のみち
三木町』
椀貸し伝説の塚もあるそうです
『三つ子石
三つ子石池の西方の池畔に巨大な岩が、居すわっている。 伝えによれば、まま子いじめをする悪い母親がいた、この母親は信仰心はまったくなかった。ある日、 幼児に「この岩を背負って歩け」と命じた。 幼児はしかたなく、大きな岩に縄をかけて背負うと、不思議なことに、この大 きな岩が軽々と背負えて、まま母のいうとおりに現在この岩があるところまで運んでこられた。 母親は恐れをなして、これは、ひとえに熊野権現の加護であると改心して、ひたすら信仰をするようになったという。 それ以後、この岩を「三つ子石」と呼ぶようになった。 今も子どもが背負った時についた縄の跡が残っているという。 また一説には、熊野清光という豪力の武士が、熊野権現の霊夢によって、この岩を運んだという伝えもある。
三木ふるさと自然のみち
三木町』
左側が"三つ子石"
くびれたところが縄をかけた跡と言われています
天辺に小さな石像があります
隣の丸いのは"牛岩"
石を背負った子どもというのが「雷八幡神社」の"磐石を背負った童子🧒"と繋がります
子どもの🎂1歳の誕生日に「一生食べるのに困りませんように」と"一升餅"を背負わせて歩かすという風習も連想されます
また、三木町井上の立石地区には三つになる子どもが持ってきた石が大石に育った、という伝説があるそうです
伝説の内容は違えど、三歳の子どもと大きな石、が意味するものが何かあるのでしょうね…
"牛岩"
『昔、牛が倒れていたので、里人たちがこれを葬って墓標代りに大きな石をのせておいた。何百年かたって、ある人がこれを手洗鉢にしようと掘り出して、つちでポンとひとつち打ちこむと、鮮血がほとばしり出たので、牛石と呼ばれるようになったという。』(『三木町史』より)
三つ子石の近くにあった祠
ため池の神様をお祀りしているのでしょうか
積んだ石の上の佇まいが龍神系に感じました
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