たわじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
多和神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主祭神》 速秋津姫命 《相殿神》 大鞆和気命 帯仲津彦命 息長帯姫命 天照大日売命 大雀尊 倭建尊 | |
---|---|---|
創建時代 | 不詳 | |
ご由緒 | 当社の創建は太古とありまして不詳ですが、社殿によりますと「神代のむかし、速秋津姫命が多和の郷に来たりまして、この水門は潮いと深くして我が心澄みと宣い、とどまり給う。去るに及んで土人大久支、子久支、古老に真澄の鏡を授け給いて、これを我が御魂と取り託して多和の水門を祓戸と定め、国人ここに集いて祓いせば、犯せる罪もおのずから失わせむ・また朝夕に沖行く五百船、千船を守らむと宣いき。ここにその御鏡を御霊代として多和大神と鎮めたましき。」とあり、祓いの神として現在に至っています。
| |
歴史 | 歴史[編集] 創建時期は不明である。志度寺に隣接しており、889年(寛平元年)、八幡神を祀り「多和八幡宮」と改称していたという。1479年(文明11年)に志度寺とともに焼失する。1671年(寛文11年)、高松藩藩主松平頼重の手で志度寺が復興されると、多和神社も復興される。この時、現在地に移転する(1623年(元和9年)現在地に遷座の説もあり)。幕末期の宮司・松岡調は国学者としても知られ、後に金刀比羅宮の宮司も務めた。彼が研究のために集めた典籍や事物が社内の「多和文庫(香木舎)」として保管されている。 表話編歴神道基礎 神道(歴史) 日本神話 神 日本の神の一覧 資料 古事記 日本書紀...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「多和神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%9A%E5%92%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=93705911 |
歴史の写真一覧
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ