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いわせをはちまんぐう

石清尾八幡宮の御由緒・歴史
公式香川県 栗林公園北口駅

ご祭神《主》応神天皇,仲哀天皇,神功皇后
ご神体石清尾山
創建時代延喜十八年(918)
ご由緒

平安時代、延喜18年(西暦918年)に八幡大神が石清尾山に現れ、これをお祀りしたと伝えられています。もう一つの説には、時の国司が京都の石清水八幡宮の御分霊を勧請し、祀ったとも言われています。

「石清尾」という社名は、社殿を造った場所が亀ノ尾山(亀命山)の山裾にあたり、石清水と亀ノ尾をひとつに併せて、「石清尾」となったと言われています。

南北朝時代、室町幕府管領の細川頼之は石清尾八幡宮を篤く信仰し、社殿の改築や武具を奉納し、神域を守る禁令を出し、手厚く保護をしました。
その後、高松を治めた生駒親正は高松城を造営し、城下町を整えるとともに、石清尾八幡宮を高松城の鎮護と崇め、社殿を改築し社領を寄進します。
江戸時代、高松藩主となった松平頼重も当宮を崇敬し、松平家の氏宮と定め、社殿を造営し、社領・宝物を寄進しました。
石清尾祭礼もこの時代に大きく変化し、高松中から人々が集まり絢爛豪華な神輿行列が行われる様になりました。
以後も歴代藩主は当宮を崇敬し、燈篭や宝物を寄進しました。

時代は代わり、昭和の初めには閑院宮、梨本宮、伏見宮殿下のご参拝を仰ぎ、国幣社への昇格を目前にするが、大東亜戦争終結の為に頓挫します。
平成30年(2018年)に「創祀1100年祭」が盛大に斎行され、今に至るまで多くの人々に高松の氏神、鎮守として広く崇敬されています。

歴史
歴史[編集] 伝説による由緒は918年(延喜18年)、八幡大神が讃岐国香川郡野原庄(現・高松市)の赤塔山(現・石清尾山)に現れて、これを祭ったものと伝えられている。もう一つの由緒は、当時の国司が京都の石清水八幡宮の分霊を亀ノ尾山上に祭ったというものである。社名も石清水と亀ノ尾の名を併せて石清尾八幡宮と称したとされる。 石清尾山には、多数の古墳からなる石清尾山古墳群があり、この地域が早い時代から栄えていたことが窺える。 1309年(延慶2年)、大般若経と五部大乗経が納められる。この大般若経は荘園の鎮守などに供えられるものであり、古くから石清尾八幡宮が野原荘の鎮守として崇敬されてきた証拠とな...Wikipediaで続きを読む
引用元情報石清尾八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%9F%B3%E6%B8%85%E5%B0%BE%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=101001969

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