みやどころはちまんぐう
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宮處八幡宮のお参りの記録(2回目)
投稿日:2023年08月24日(木)
参拝:2023年4月吉日
【宮處八幡宮に通う②歴史】
⛩️「宮處八幡宮」は、仁徳天皇の時代に中臣宮處(なかとみのみやどころ)氏の祖・中臣連大小臣命の子 ”静子臣” が、応神天皇の神霊を祀ったことに始まるそうです
奈良時代、中臣宮處連(むらじ) 東人(あずまびと)は"長屋王の変"の時、密告して貢献したとして財を得ます
しかし藤原氏による陰謀だったことがわかり、中臣宮處連東人は嘘の密告をしたとして斬殺されたそうです…
⛩️「宮處八幡宮」は、仁徳天皇の時代に中臣宮處(なかとみのみやどころ)氏の祖・中臣連大小臣命の子 ”静子臣” が、応神天皇の神霊を祀ったことに始まるそうです
奈良時代、中臣宮處連(むらじ) 東人(あずまびと)は"長屋王の変"の時、密告して貢献したとして財を得ます
しかし藤原氏による陰謀だったことがわかり、中臣宮處連東人は嘘の密告をしたとして斬殺されたそうです…
御由緒
仁徳天皇の御世、中臣宮處氏の祖、中臣連大小橋臣の子、静子臣、応紳天皇の御神霊を奉斎して宮所神社と奉称せるに始まる
旧くは当地を美也止古路と云い、郷名を宮虚と記せしなり。景光天皇の皇子、神櫛王の居住せられし処という。
仁徳天皇の御世、中臣宮處氏の祖、中臣連大小橋臣の子、静子臣、応紳天皇の御神霊を奉斎して宮所神社と奉称せるに始まる
旧くは当地を美也止古路と云い、郷名を宮虚と記せしなり。景光天皇の皇子、神櫛王の居住せられし処という。
観光地かと思うくらい立派な御本殿
密告の褒賞で築いた財で平安時代に立派な社殿を建立したのでしょうか
密告の褒賞で築いた財で平安時代に立派な社殿を建立したのでしょうか
手水舎
手水鉢の四隅を石像が支えるタイプなのですが
手水鉢の四隅を石像が支えるタイプなのですが
正座?でこの表情
歴史を知ると、罪の重さに苦しんでいるように思えてしまいます🙂💦
すてき
投稿者のプロフィール
いつき112投稿
香川県内中心に、寺社と土地の関係に注目しながら参拝しています/四国八十八ヶ所✱讃岐ピラミッドや磐座✱邪馬台国四国山上説推し✱豊玉姫命研究✱神社仏閣案内してくださる先輩に出会えるといいな(^^)
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