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みわじんじゃ

三輪神社
石川県 津幡駅

御朱印について
御朱印
-
パーキング
駐車場
あり

境内にあり

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神祇伯
神祇伯
2024年06月20日(木)
1458投稿

加賀国加賀郡の式内論社です。社名の通り大神神社を本宮とする三輪系神社の一つで、836年の創建から永らく周辺の村々の総社として加賀藩前田家からも篤く崇敬されていました。全国に多くある三輪系神社ですが、こちらにも三輪氏が住み着いていたようですね。

三輪神社(石川県)

《一の鳥居》
社殿自体は山麓にありますが、一の鳥居だけ住宅街の中にあります。現在は線路と剣道によって分断されていますが、配置的に一直線になっています。

三輪神社(石川県)

《二の鳥居と社号碑》

三輪神社(石川県)

《御神木》

三輪神社(石川県)

《表参道》
なだらかな階段です。

三輪神社(石川県)

《手水舎》
水は流れていませんでした。というか山裾のせいで蚊が多い!

三輪神社(石川県)
三輪神社(石川県)

《境内社》
こちらには石地蔵さんが祀られています。
その昔近江国の人が日本海を渡航中に大嵐に遭い絶体絶命のところ、天に差す幟が見え、それを目印に無事漂着したという伝承があります。そのお礼として建てられたそうです。

三輪神社(石川県)

《拝殿》
日本海側の他の神社の例に漏れず、積雪避けに入り口周りはガラス戸になっています。

三輪神社(石川県)

《拝殿上部》🙏
扁額と絵馬が掲げられています。
ちなみに同じく三輪神社の論社には金沢市の石浦神社が挙げられています。

三輪神社(石川県)

《土蔵?》

三輪神社(石川県)

《本殿》

三輪神社(石川県)

《真榊》
隣の巨木が葉っぱ的に榊の木です。こんな太く育つんですね。

三輪神社(石川県)

《地蔵堂?》
👁チェックポイント‼️
当社には翁の面についての伝承があります。当社の近くに架かっていた玉橋という橋を掃除していた番人が、ある日朝早い時間に目を覚まし境内に向かうと、松の大木に翁の面がかかっていました。この面を持ち帰ると夜な夜な美声で歌ったそうで、藩主に献納しその判断で社宝とするように命じられました。
前述の幟も翁の面がかかっていた松の大木のことだったそうですが、現在はその大木どころか松さえも見つかりませんでした…

三輪神社(石川県)

《龍神池》
本殿裏にありますが、枯れちゃってますね…

三輪神社(石川県)

《社務所》
普段は無人のようです。同町清水の清水八幡神社さんが兼務しています。

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三輪神社の基本情報

住所石川県河北郡津幡町北中条サ2-乙
行き方
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名称三輪神社
読み方みわじんじゃ
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

トイレなし
電話番号076-289-4173(清水八幡神社)
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 大物主神
《合祀神》
 菊理媛神
 経津主命
 武甕槌神
 天児屋根命
 比売神
 倉稲魂命
 大山咋命
ご神体不詳
創建時代承和三年(836年)
創始者不詳
本殿一間社流造
ご由緒

 津幡町中条地区の北中条にある三輪神社は、南中条の八幡神社同様に、JR津幡駅裏手の小高い山の中腹から、集落を見下ろすように建っています。古来、井上郷17村の総社として仰がれ、加賀藩前田家の崇拝が熱く、3代藩主利常夫人の天徳院(てんとくいん=珠姫)が1613(慶長18)年に社殿を建立し、翌年、能を奉納されました。同神社の祭神は、大物主命(おおものぬしのみこと)・菊理媛神(くりひめのかみ)・経津主命(ふつぬしのみこと)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめのかみ)・倉稲魂命(うがのみたまのみこと)・大山咋命(おおやまくいのみこと)です。本殿裏には龍神池があり、その手前には翁(おきな)面の伝説にまつわる地蔵尊が祀られています。
 現在の河原市用水の流れる所に玉橋があり、その前に境内を清掃する番人がいました。ある日、その番人がいつものようにうす暗いうちに起き、境内の松の大木を見上げると、翁の面が枝に掛かっていました。番人はホウキでこれを落して番小屋に持ち帰ったところ、この翁の面が毎夜静かな境内の中で、何ともいえない冴えた美しい声で謡を歌い続けたのです。そこで、藩主にこれを献上したところ、絵巻物を添えて永く神社の宝とするように命じられました。
 また、ある時のことです。近江の国の者が日本海を航行中、大暴風雨に出会い、船は大海に漂流しました。人々はさかまく大波にもまれながら、一心に神仏に祈り続けたところ、天の一角に旗幟(のぼりばた)のようなものが、ひるがえって見えました。一同は手を取り合って喜び、互いに励まし合ってその方向に漕ぎつけ、偶然にも大根布(内灘町)の海辺に漂着することができました。後にその旗幟のように見えたのは、翁の面の掛かっていた三輪神社の松の大木(神木)であることがわかり、一同は感謝の意味を込めて舟型の石地蔵を寄進したそうです(中条地区の伝説「三輪神社の神木」の話より引用)。
 この神木は幹廻り6メートルもある大木でしたが、残念ながら1894(明治27)年9月27日の台風で倒れてしまい、現在は残っていません。
 一説によると、同神社の山手、「王城(おうじょう)」という所で、木曽義仲(きそ・よしなか)が倶利伽羅の源平合戦に勝利した後、休養のために数日間、滞在したと伝えられています。その山間部には、義仲が喉を潤したとされる滝水が残っています。[津幡町観光ガイドHPより引用]

体験武将・サムライ伝説

Wikipediaからの引用

概要
三輪神社(みわじんじゃ)は、石川県河北郡津幡町字北中条にある神社。津幡駅裏手の山中に鎮座する。旧社格は村社。
歴史
由緒[編集] 創祀は承和3年(836年)といい、『延喜式神名帳』の加賀国加賀郡の小社「三輪神社」であるとされる[1]。境内には龍神之池と名づけられた池がある。 ^ 論社としてもう1社、金沢市の石浦神社がある。
アクセス
交通[編集] 西日本旅客鉄道(JR西日本)・IRいしかわ鉄道津幡駅から徒歩10分
引用元情報三輪神社 (津幡町)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%89%E8%BC%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%B4%A5%E5%B9%A1%E7%94%BA%29&oldid=97313692
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