じょうぎょういん
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常行院ではいただけません
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常行院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年06月08日(木)
参拝:2023年6月吉日
田冨山田福寺 常行院(じょうぎょういん)
~悠久の歴史を見守り続けた七重搭🌠
常光院と山下城跡~
山号 田冨山(たずみさん)田福寺(でんふくじ)
院号 常行院(じょうぎょういん)
宗派 天台宗
御本尊 薬師瑠璃光如来
加西西国御本尊 聖観世音菩薩
札所
加西西国 第二十八番
御詠歌
もろびとの ねがうこころは だいひそん
つみあるひとも すくいたまへと
当山は用明天皇の時代に聖徳太子開基の霊場で、太子自ら御本尊薬師如来を刻み精盧一宇を建てたとされています。
また、白雉元年(650)に法道仙人が当山に来り伽藍を造営し、自ら十一面観音を刻み同じくこれを安置したので中興開山の祖といわれています。また、仁寿三年(853)に慈覚大師が当山で法華八講を執行したとも伝えられています。
その後、後醍醐天皇時代に赤松家の家臣、浦上七郎左ヱ門正久の焼きうちにあい霊宝、記録等悉く焼失しましたが、宝徳 (1449)年間に、門七良兵ヱが財宝を喜捨し、本堂再建、薬師如来(現在の本尊)を彫刻安置しますが、その後廃壊し、今の御本堂は寛文三年 (1663)のものです。
天武天皇の時代(670年頃)、国中が凶作に見舞われた時、当寺御本尊に祈願されたところ、災いは除かれ豊作となったため、帝より「田冨山田福寺」の山寺号を賜ったと云われています。
後醍醐天皇時代に赤松家の家臣、浦上七郎左ヱ門正久(浦上太郎左衛門)が寺を焼き払って城を築いたと伝わります。
その後、宝徳年間に、門七良兵ヱが本堂を再建し、薬師如来(現在の御本尊)を彫刻安置しました。
当時の常行院は山下城の城域に含まれていたものと思われ、また播磨と摂津を結ぶ街道沿いにあることから往時は栄えていたと考えられます。
現在の御本堂は寛文3年(1663年)建立で、本瓦屋根、正面建具は桟唐戸となっており風格があります。
また、2007年に御本堂、客殿及び山門の屋根の葺き替えが行われました。
御本堂左手には、庫裏と鎮守堂、背後には薬師不動明王堂や開山堂などが建っています。
庫裏の庭先には宝徳3年(1451年)に造立され、当寺の長い歴史を見守り続けてきた石造七重搭(市指定文化財)が立っています。
~・~・~・~
弁財天池の前に山下城跡の案内板が設置されています。案内板の向かいすぐに地蔵堂があり、常行院の南東の丘陵(通称城山)へ。
「播磨鑑」によると浦上久松(1570年代)の居城として「中世城郭遺跡」があります。
平成21年3月 加西市市史・文化財室の調査によると、この丘陵は、規模が大きく本丸も広い面積で立派な城郭を有する山城(山下城跡)であることが分かりました。そこで、里山ふれあい森づくり(住民参画型)事業を実施し、平成19年度に落慶した常行院本堂とともに、この周辺を山下西町の「歴史遺産地区」に、また、山下城跡を「ふれあいの森」として整備されました。
自然深く野鳥の声に包まれながら、途中に可憐な「ヒツジグサ」も見ることができました。
月末辺りに御朱印拝受に上がる予定でいます。
※法華山地蔵院さまへもお参りできたらと思います。(※加西市坂本町800-14)
加西市山下西町1394
~悠久の歴史を見守り続けた七重搭🌠
常光院と山下城跡~
山号 田冨山(たずみさん)田福寺(でんふくじ)
院号 常行院(じょうぎょういん)
宗派 天台宗
御本尊 薬師瑠璃光如来
加西西国御本尊 聖観世音菩薩
札所
加西西国 第二十八番
御詠歌
もろびとの ねがうこころは だいひそん
つみあるひとも すくいたまへと
当山は用明天皇の時代に聖徳太子開基の霊場で、太子自ら御本尊薬師如来を刻み精盧一宇を建てたとされています。
また、白雉元年(650)に法道仙人が当山に来り伽藍を造営し、自ら十一面観音を刻み同じくこれを安置したので中興開山の祖といわれています。また、仁寿三年(853)に慈覚大師が当山で法華八講を執行したとも伝えられています。
その後、後醍醐天皇時代に赤松家の家臣、浦上七郎左ヱ門正久の焼きうちにあい霊宝、記録等悉く焼失しましたが、宝徳 (1449)年間に、門七良兵ヱが財宝を喜捨し、本堂再建、薬師如来(現在の本尊)を彫刻安置しますが、その後廃壊し、今の御本堂は寛文三年 (1663)のものです。
天武天皇の時代(670年頃)、国中が凶作に見舞われた時、当寺御本尊に祈願されたところ、災いは除かれ豊作となったため、帝より「田冨山田福寺」の山寺号を賜ったと云われています。
後醍醐天皇時代に赤松家の家臣、浦上七郎左ヱ門正久(浦上太郎左衛門)が寺を焼き払って城を築いたと伝わります。
その後、宝徳年間に、門七良兵ヱが本堂を再建し、薬師如来(現在の御本尊)を彫刻安置しました。
当時の常行院は山下城の城域に含まれていたものと思われ、また播磨と摂津を結ぶ街道沿いにあることから往時は栄えていたと考えられます。
現在の御本堂は寛文3年(1663年)建立で、本瓦屋根、正面建具は桟唐戸となっており風格があります。
また、2007年に御本堂、客殿及び山門の屋根の葺き替えが行われました。
御本堂左手には、庫裏と鎮守堂、背後には薬師不動明王堂や開山堂などが建っています。
庫裏の庭先には宝徳3年(1451年)に造立され、当寺の長い歴史を見守り続けてきた石造七重搭(市指定文化財)が立っています。
~・~・~・~
弁財天池の前に山下城跡の案内板が設置されています。案内板の向かいすぐに地蔵堂があり、常行院の南東の丘陵(通称城山)へ。
「播磨鑑」によると浦上久松(1570年代)の居城として「中世城郭遺跡」があります。
平成21年3月 加西市市史・文化財室の調査によると、この丘陵は、規模が大きく本丸も広い面積で立派な城郭を有する山城(山下城跡)であることが分かりました。そこで、里山ふれあい森づくり(住民参画型)事業を実施し、平成19年度に落慶した常行院本堂とともに、この周辺を山下西町の「歴史遺産地区」に、また、山下城跡を「ふれあいの森」として整備されました。
自然深く野鳥の声に包まれながら、途中に可憐な「ヒツジグサ」も見ることができました。
月末辺りに御朱印拝受に上がる予定でいます。
※法華山地蔵院さまへもお参りできたらと思います。(※加西市坂本町800-14)
加西市山下西町1394
すてき
みんなのコメント(2件)
ハマの「寺(テラ)」リスト
こんにちは。
あらためて播州路ののどかな原風景に浸ることが出来るお寺と思いました。
地元住民とお寺との繋がりが希薄になる中でも、古くからの歴史が今に伝わっているものだと関西各地を巡り、その様な話を良く耳にします。
観光としての寺院ではなく、地元と共に繋がりのある寺院。
そしてのどかな原風景。
まだまだわからないことが多い
播州へ行きたくなるのもわかるような気がします。
あと、多聞寺とのご住職とのタイガーストーク。色々ときっかけを繋げて下さいましてありがとうございました。この場を借りて御礼を。
2023年06月08日(木)
ハマの「寺(テラ)」リスト先生🪻🪻🪻🌿
長期&広範囲の出張お疲れ様(*^-^)ノでした。ハマさんはじめ、🐯💚巡礼お仲間に感謝の日々です。
ほんまに知らないことだらけながら、改めて地元の方々や御住職宮司さま先生方に感謝しています。
ハマさんとの巡礼が楽しすぎて、淋しぃよぉ。😄💚 普段の巡礼では味わえない気づきを下さりありがとうございました。やはり多聞寺御住職とハマさんの大らかなお人柄と、スペシャリストのお二人の弾む会話に至福のひとときを頂戴できて、この世にただひとつの🐯猛虎ARE襲来🐯💚あかん、顔がヘラついています。締めていこ!(何書いてんねん😄)🐯💚 うなちゃん先生もお喜び下さると思います。 幸せなご縁を頂きありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。🐯4⚾4🐯
2023年06月08日(木)
投稿者のプロフィール
四季495投稿
住吉大神の宮九箇処
♡♡♡♡♡
東村の 神の子 弦申様は
播州一の男前 おとこまえーっ♪
播州地搗歌 阿弥陀東
♡♡♡♡♡
長崎くんち💖🤍🩵
お気に入りの霊場を少しずつ巡礼しています。
よろしくお願いします。
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。