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長田寺ではいただけません
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長田寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月30日(木)
参拝:2023年3月吉日
長田寺(ちょうでんじ)
山号 地蔵山
宗派 浄土宗西山禅林寺派
御本尊 阿弥陀如来立像
尾上構居跡(おのえこうきょあと)
長田寺付近中は、中世の城館である尾上構居跡と考えられています。
構居とは、中世の土豪の居館のことで、
城と比べ規模の小さいものを意味しています。
尾上構居について詳しいことはわかりませんが、三木合戦(1578-80)のときに三木城方についたことが伝えられています。
尾上構居址 長田庄
領主ハ丹波守 別所ノ幕下
(『播磨鑑』)
尾上構主 加古瀧十郎盈斎(赤松氏範末孫なり)居す
居尾上丹波守三木落亡武功あり
平成25年3月 加古川市教育委員会
日本城郭大系には、城主は村上兵左衛門で
嘉吉年間(1441-44)には 山名氏の臣下だったと伝えられています。(『播州諸城交換連綿之記』 『播州古城蹟収録』)
後に、小松原氏から分かれて加古氏を名乗る一族の中に尾上構主、加古新構主、宗佐構主があり、それぞれ別所氏の麾下となっています。
小松原城主も同様です。
尾上構主としては天文11年(1542)に没した加古源衛門幸宗。天正六年(1578)に三木別所方として羽柴秀吉と戦った加古滝十郎盈斎と丹波主が知られています。
加古川市尾上町長田502
#長田寺
#千躰地蔵
#加古川市
#尾上構居跡
#加古源衛門幸宗
#加古滝十郎盈斎
#嘉吉の乱
#赤松満祐
#足利義教
#三木合戦
#三木別所方
#羽柴秀吉
#天正六年(1578)
#播磨鑑
#兵庫県
山号 地蔵山
宗派 浄土宗西山禅林寺派
御本尊 阿弥陀如来立像
尾上構居跡(おのえこうきょあと)
長田寺付近中は、中世の城館である尾上構居跡と考えられています。
構居とは、中世の土豪の居館のことで、
城と比べ規模の小さいものを意味しています。
尾上構居について詳しいことはわかりませんが、三木合戦(1578-80)のときに三木城方についたことが伝えられています。
尾上構居址 長田庄
領主ハ丹波守 別所ノ幕下
(『播磨鑑』)
尾上構主 加古瀧十郎盈斎(赤松氏範末孫なり)居す
居尾上丹波守三木落亡武功あり
平成25年3月 加古川市教育委員会
日本城郭大系には、城主は村上兵左衛門で
嘉吉年間(1441-44)には 山名氏の臣下だったと伝えられています。(『播州諸城交換連綿之記』 『播州古城蹟収録』)
後に、小松原氏から分かれて加古氏を名乗る一族の中に尾上構主、加古新構主、宗佐構主があり、それぞれ別所氏の麾下となっています。
小松原城主も同様です。
尾上構主としては天文11年(1542)に没した加古源衛門幸宗。天正六年(1578)に三木別所方として羽柴秀吉と戦った加古滝十郎盈斎と丹波主が知られています。
加古川市尾上町長田502
#長田寺
#千躰地蔵
#加古川市
#尾上構居跡
#加古源衛門幸宗
#加古滝十郎盈斎
#嘉吉の乱
#赤松満祐
#足利義教
#三木合戦
#三木別所方
#羽柴秀吉
#天正六年(1578)
#播磨鑑
#兵庫県
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