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浄運寺ではいただけません
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じょううんじ

浄運寺のお参りの記録(1回目)
兵庫県西相生駅

投稿日:2021年12月14日(火)
参拝:2021年12月吉日

浄運寺

~法然上人と木曽義仲第3夫人「ふき」~

シーボルト博士の見た景色



山号  清涼山
宗派  浄土宗
御本尊 阿弥陀如来立像
創建年 1185年(文治元年)
開基  信寂


浄土宗の寺院で知恩院の末寺。
1185年(文治元年)、法然上人の弟子・信寂の開基。
播磨国の教化の道すがら、室津の長者十川氏の帰依を受け建立したと伝えられています。元来は西方寺と呼ばれていましたが、慶長年間に浄運寺と改称されました。
1207年(建永2年)、京都より讃岐国へ配流される法然上人が室津に立ち寄り、遊女・友君へ説法したとされ、以来当寺は法然上人の遊女教化を伝える霊跡となっています。
遊女の元祖とされる友君、また『お夏清十郎』ゆかりの寺としても知られています。

本堂
阿弥陀如来立像当寺の御本尊。運慶作。

多宝如来坐像 元は賀茂神社の旧仏。
明治の神仏分離(神仏判然令)により当寺へ移されました。
友君坐像 合掌する尼僧姿の友君の坐像。
お夏の木像『お夏清十郎』ゆかりの像。
恋仲となった清十郎の生家跡があります。
遊女友君の塚 西門前に建つ石碑。
1339年(暦応2年)建立と伝えられています。



~・~・~・~

浄運寺「室津明細手控帳」より

「清涼山浄運寺 西向 東西6間南北5間 浄土鎮西派
御本尊 阿弥陀立像2尺
庫裏・鐘楼・観音堂慈覚大師作・境内15間4尺・22間

門外に有古墳
妙心信女菩提也
応暦2年7月5日造立之トアリ、是友君カ石塔也」

「播州室津追考記」 「第7 清涼山浄運寺
西門のまへ道のかたハらニ6尺斗の石塔あり、俗に竪石といふ、其碑の銘を見るに応暦2年7月5日妙心信女菩提の為に之を造立すと有、是即友君といふ遊女の石塔也といひならハし侍る」
(浄運寺と室明神との間には、特別の関係は無かったと思われる。地理的に近かったため、塔本尊が遷座したものと思われる。)


~・~・~・~

かつて西海路の港として賑わいをみせていた室津には、他の港町同様旅人のための遊廓があり、「室の君」と呼ばれた遊女の長は容姿・品格・芸技に抜きん出ていたため数々の伝承が残されています。
その一人であった友君についての伝承です。
友君は本名を「ふき」。
木曽義仲の第3夫人で、京都では山吹御前と呼ばれていました。その後義仲の討死により播磨国へ逃れた彼女は、途中の室津で子供を死産。供養のため当地に留まり遊女となりました。 遊女・友君となったふきは琴を弾き、踊りを舞い、今様を謡って船旅の客を接待しましたが、心付けを受け取ることは決してありませんでした。ただし、亡子と義仲の菩提を弔っていることを知った客人より「花代」「線香代」として差し出されたお金については有難くお受けされたそうです。 1207年(建永2年)、法然上人が潮待ちで当地に立ち寄った際、友君は小舟をこぎ出し、自らの遊女としての将来に対する不安を打ち明けます。法然上人は「罪は決して軽いものではない。早く他に生きる道を見つけなさい。もし良い案が浮かばないのならば、ひたすら念仏を唱えなさい。阿弥陀如来は罪深い者こそ救って下さる」との教えを請います。その説法に感激した友君は法然上人より得度を受け、当寺へ出家しました。後に赦免となった法然上人が京都への帰路室津に立ち寄り友君のことを尋ねると、彼女はその後、一筋に念仏を唱え往生されたとのことです。

南無阿弥陀佛


~・~・~・~



とても上品でご丁寧なご住職奥様(きっと若奥様)のご案内により、御本尊から全ての仏像を拝顔させて戴きました。
御本尊も今年3月に、神戸新聞より
『阿弥陀如来立像に、胎内仏があることが9日、分かった。多摩美術大(東京)の青木淳教授(55)=日本美術史・宗教史=がエックス線撮影で確認し、写真を公表した。本尊の如来像は快慶の流れをくむ仏師が鎌倉中期に彫り、胎内仏は江戸期の修理時に加えられたと見られる。』と、記事になりました。

他にも国宝クラスの一本彫の平安期に造られたお地蔵様(平安期の仏像であることは調査済みですが、後年御住職不在の期間に 頬を研かれたり装飾品を持ち去られた痕跡がある為、国宝にはなれなかったとのことです。)等、博物館の様な御寺さまです。


✴️お彼岸(秋・春)には、海からの光が一直線に御本尊の足元まで届くそうです。✴️

シーボルト博士が『これまで日本で見たもっとも美しい景色のひとつ』と褒め称えた場所。数年前シーボルトのドキュメンタリー番組を制作するために訪れたオランダのテレビ局撮影クルーが180年前と様相が変わらず素晴らしいのはここ室津だけだったと瀬戸内海を眺めて言われたそうです。
本当は記事にしたくない~ほど美しく優しい街。

約1週明けてリターンしてしまいました。
お会いしたくって♥️
また室津海駅館の職員の方にお世話になってしまいました。
次は圓光大師御命日の1月25日でしょうか!?
お参りできますように。

浄運寺ご住職奥様、職員の皆様ありがとうございました。




たつの市御津町室津168
浄運寺の景色
瀬戸内海
浄運寺の山門
浄運寺の山門
浄運寺の山門
浄運寺の建物その他
浄運寺の建物その他
浄運寺の本殿
御本堂の戸を開いて頂き

この開いた戸より一直線に
浄運寺の仏像
お彼岸の時季には

御本尊阿弥陀如来様の足元まで
光の道が届くそうです

浄運寺の仏像
鎌倉期阿弥陀如来に胎内仏
エックス線調査画像
浄運寺の御朱印
浄運寺 御朱印

念願叶い御朱印を拝受できました
ありがとうございます
浄運寺の建物その他
浄運寺の歴史
浄運寺の山門
浄運寺の山門
浄運寺のお墓
友君のお墓
妙心信女菩提也
浄運寺の周辺
法然上人 貝掘りの井戸 🐚
浄運寺の周辺
🐚
浄運寺の周辺
室津散策へ
浄運寺の景色

トンビも素晴らしい景色の中を
優雅に飛んでいました🌲
浄運寺の景色
浄運寺の景色
浄運寺の歴史
浄運寺の周辺
浄運寺の周辺
浄運寺の周辺
浄運寺の景色
友君橋
浄運寺の周辺
浄運寺の周辺
室津民族資料館(旧豊野邸重文)
浄運寺の周辺
浄運寺の周辺
浄運寺の周辺
浄運寺の周辺
浄運寺の周辺
どちらのお店も満席🈵でした

道の駅『みつ』は道路に🅿️🚗待ちの行列状態、、、
浄運寺の食事
職員さまのおかげで
最終ランチに間に合いました
ありがとうございました
おご馳走さまでした
浄運寺の周辺
浄運寺の周辺
浄運寺の周辺
浄運寺の周辺
浄運寺の周辺
室津漁港と友君橋
浄運寺の周辺
浄運寺の景色
賀茂神社の島
浄運寺の景色
浄運寺の周辺
友君橋
浄運寺の景色
浄運寺の周辺
浄運寺の景色
浄運寺の周辺
浄運寺の仏像
次はいつ σ(^_^;)? ムゥ
浄運寺の景色
揖保郡のこの山を越えた先が御津町 室津港
瀬戸内海が広がります
浄運寺の山門
浄運寺西門 

すてき

御朱印

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