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どうじゅいん|曹洞宗白華山

同聚院の編集履歴
2024年04月08日(月)
群馬県 伊勢崎駅

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keokeo˚✧₊⁎
2024年04月08日 22時16分

ご由緒

同聚院の創建は平安時代後期の平治元年(1159)、領主である三浦之介義明が赤石左衛門の菩提を弔う為に開いたのが始まりと伝えられています。
当初は臨済宗の寺院でしたが、鎌倉時代末期に領主だった新田義貞が中興し、その際、曹洞宗に改宗し、新田家の家紋と寺紋として掲げる事が許されています。江戸時代に入ると伊勢崎藩主稲垣家の位牌所として庇護され寺運が隆盛します。
2代藩主稲垣重綱が慶長19年(1614)の大坂の陣の戦功により元和2年(1616)に越後藤井藩(1万石⇒2万石)へ移封になると伊勢崎藩は廃藩となり伊勢崎陣屋の陣屋門が移築されています。
同聚院山門は切妻、桟瓦葺き、三間一戸の薬医門で当時の陣屋の唯一残った遺構で伊勢崎市内に残る最古の木造建築物として貴重な事から昭和41年(1966)に伊勢崎市指定重要文化財に指定されています。

編集前:同聚院の創建は平安時代後期の平治元年(1159)、領主である三浦之介義明が赤石左衛門の菩提を弔う為に開いたのが始まりと伝えられています。
当初は臨済宗の寺院でしたが、鎌倉時代末期に領主だった新田義貞が中興し、その際、曹洞宗に改宗し、新田家の家紋と寺紋として掲げる事が許されています。江戸時代に入ると伊勢崎藩主稲垣家の位牌所として庇護され寺運が隆盛します。
2代藩主稲垣重綱が慶長19年(1614)の大坂の陣の戦功により元和2年(1616)に越後藤井藩(1万石⇒2万石)へ移封になると伊勢崎藩は廃藩となり伊勢崎陣屋の陣屋門が移築されています。
同聚院山門は切妻、桟瓦葺き、三間一戸の薬医門で当時の陣屋の唯一残った遺構で伊勢崎市内に残る最古の木造建築物として貴重な事から昭和41年(1966)に伊勢崎市指定重要文化財に指定されています。

文化財

⚫︎大カヤ:樹高38m、目通り周囲5m、根元周囲10m、枝張り東西15m、南北13m、推定樹齢約600年(伊勢崎指定天然記念物)
⚫︎文化財:文明12年(1480)に建立された石幢(総高154cm、安山岩製、6面石仏彫像(昭和48年1973年 伊勢崎市指定重要文化財指定)
⚫︎史跡:伊勢崎藩の家老だった関當義・重嶷父子の墓(昭和48年1973年伊勢崎市指定史跡指定)

編集前:【大カヤ】樹高38m、目通り周囲5m、根元周囲10m、枝張り東西15m、南北13m、推定樹齢約600年(伊勢崎指定天然記念物)
【文化財】)文明12年(1480)に建立された石幢(総高154cm、安山岩製、6面石仏彫像(昭和48年1973年 伊勢崎市指定重要文化財指定)
【史跡】伊勢崎藩の家老だった関當義・重嶷父子の墓(昭和48年1973年伊勢崎市指定史跡指定)

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