うつのみやじんじゃ
宇都宮神社 (菱町一丁目)の編集履歴
ご由緒
宇都宮二荒山神社から分神して、細川丹後守が、米沢地区で一休みしたという場所に、元文元年(1736年)に祀ったものと云われている。
(神社案内板より)
【細川氏】
摂津国細川分流で、京都にいた細川丹後という者が初代である。
細川丹後は、野州小俣の渋川氏に跡継ぎとして迎えられる約束で応永19年(1412)に小俣に下った。
ところが、家中は外腹の隠し子を取り立て、細川丹後に従わなかった。
細川は関東公方足利持氏に訴え、少しの領地をもらい、その秋から下菱に住んだ。
其の子修理祐、其の子丹後、其の子主膳、其の子内膳と5代にわたり繁栄した。
最後は細川氏が所有した名馬 小雀を欲した桐生親綱により、桐生氏配下の津布久常陸之介により、天文13年3月2日に攻撃を受け細川氏は滅亡する。
※菱町内にはもう一ヶ所宇都宮神社があり、そちらは細川丹後守存命中に勧請されたもの。創建年代を考えるとこちらの宇都宮神社はそちらから分霊されたものか?
編集前:宇都宮二荒山神社から分神して、細川丹後守が、米沢地区で一休みしたという場所に、元文元年(1736年)に祀ったものと云われている。
(神社案内板より)
【細川氏】
摂津国細川分流で、京都にいた細川丹後という者が初代である。
細川丹後は、野州小俣の渋川氏に跡継ぎとして迎えられる約束で応永19年(1412)に小俣に下った。
ところが、家中は外腹の隠し子を取り立て、細川丹後に従わなかった。
細川は関東公方足利持氏に訴え、少しの領地をもらい、その秋から下菱に住んだ。
其の子修理祐、其の子丹後、其の子主膳、其の子内膳と5代にわたり繁栄した。
※菱町内にはもう一ヶ所宇都宮神社があり、そちらは細川丹後守存命中に勧請されたもの。創建年代を考えるとこちらの宇都宮神社はそちらから分霊されたものか?