ふたまたじんじゃ
二俣神社の編集履歴
通称
二俣八幡宮、川上八幡宮
編集前:二俣八幡宮
ご由緒
【 創建 】
社伝によると、貞観元年(860年)に勧請されたとされます。
延喜式神名帳には磐城郡七座の一座として小社に列したことも記載されています。
【 川上八幡宮からの遷座 】
かつては現在地から北西に約1km離れた二俣川(現・夏井川)の場所に社殿が建てられ、「川上八幡宮(二俣八幡宮)」と称されていました。
しかし、水害がしばしば発生することから、天和2年(1682年)には磐城平藩主・内藤義泰の代に現在地に遷座することになりました。
【 内藤義孝による修理とその後 】
元禄11年(1698年)、藩主・内藤義孝によって社殿の修理が行われました。
その後も歴代の藩主たちの尊崇により社殿の修理が行われ続けました。
【 郷社と現社殿の造営 】
明治4年(1871年)には郷社に列し、明治7年(1874年)には現在の社殿が建設されました。
編集前:【 創建 】
社伝によると、貞観元年(860年)に勧請されたとされます。
延喜式神名帳には磐城郡七座の一座として小社に列したことも記載されています。
【 川上八幡宮からの遷座 】
かつては現在地から北西に約1km離れた二俣川(現・夏井川)の場所に社殿が建てられ、「川上八幡宮(二俣八幡宮)」と称されていました。
しかし、水害がしばしば発生することから、天和2年(1682年)には磐城平藩主・内藤義泰の代に現在地に遷座することになりました。
【 内藤義孝による修理とその後 】
元禄11年(1698年)、藩主・内藤義孝によって社殿の修理が行われました。
その後も歴代の藩主たちの尊崇により社殿の修理が行われ続けました。
【 郷社と現社殿の造営 】
明治4年(1871年)には郷社に列し、明治7年(1874年)には現在の社殿が建設されました。
【 梅ノ作瓦窯跡 】
なお境内には、奈良~平安時代の大寺院跡などが発掘され国の史跡となった「夏井廃寺」に使われた瓦をつくった「梅ノ作瓦窯跡 」があります。
夏井廃寺は二俣神社の夏井川下流にあり、当地で作った瓦を船に積み運んだと考えれらています。
行事
9月第1土・日曜日 例大祭
編集前:9月第1日曜日 例大祭
文化財
【 梅ノ作瓦窯跡 】
境内には、「夏井廃寺」に使われた瓦をつくった「梅ノ作瓦窯跡 」があります。
二俣神社近くを流れる夏井川下流に夏井廃寺跡はあり、当地で作った瓦を船に積んで運んだと考えれらています。
夏井廃寺とは、奈良~平安時代の大寺院跡などが発掘された遺跡で、国の史跡となっています。