だいこうじ|臨済宗妙心寺派|飛形山
大光寺の編集履歴
緯度
33.18569398909715
編集前:33.1859454
経度
130.57509708360598
編集前:130.5740242
ふりがな
だいこうじ
ご由緒
大光寺の創建は、推古天皇の(609)、百済より来朝した日羅上人の開基と伝える。 本尊の十一面観音の他、諸仏も上人の作という。ところが、宝亀5年(774)の落雷で本尊もろとも焼失した。後に行基菩薩が小堂を再建し、本尊も自ら刻んで安置したという。
寛平年間(889-897)、大宰府にいた藤原高房という人は観音信仰が厚く、観音像の造立を思い立って、唐より香木を求めようとしたが、叶わぬままに亡くなった。 その子・黄門侍郎が大宰府近くの海辺で光を放つ香木を見つけ、そこに書かれた文字から父高房が求めていた香木と知って喜び、千手観音像を2体彫らせた。 うち1体は摂州嶋下郡(大阪府茨木市)に一寺を建立して安置した。そしてもう1体を大宰府に持ち帰った。
ところがその尊像は、夜毎に光を放ちながら筑後の方に飛んで行き、また戻って来るので、あるとき黄門が尊像の行き先を追っていくと、そこには中に十一面観音像を祀る一宇の草堂があったという。 黄門は喜び、新しい堂宇を建立し、十一面観音像と自分の千手観音像を一緒に祀ることにした。このような縁から、この観音堂がある山を飛形山とびがたさんと呼ぶようになった。
その後、再び火災があって、堂・尊像ともに焼失したが、唯一焼け残った千手のうちの一手を、後に十時氏が新しく千手観音像を造り、その胎内に納めたという。 宝永3年(1706)谷中の村人たちが誓願を起こして堂を建立し、観音様を山から現在地に移したと伝えられる。
大光寺は、14年ほど前までは、井上宗規尼という尼住職が98歳まで独りで観音堂を守っていたが高齢で山を下り、現在は無住。同じ宗派で、すぐ近くの開運寺の住職が兼務している。 本尊のご開帳は子年で、12年に一度2日間だけという。
電話番号
0943-23-0710(開運寺)
編集前:0943-23-4877
ご祭神/ご本尊
十一面観世音
駐車場
あり
御朱印
あり
参拝所要時間
約15分
参拝料
無料
山号
飛形山
創立
609年
創始者/開山・開基
日羅上人
巡礼
筑後三十三箇所観音霊場第31番札所