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だいこうじ|臨済宗妙心寺派飛形山

大光寺の編集履歴
2021年12月11日(土)
福岡県 羽犬塚駅

超第六天魔王ニキさんのプロフィール画像
超第六天魔王ニキ
2021年12月11日 18時31分

緯度

33.18569398909715

編集前:33.1859454

経度

130.57509708360598

編集前:130.5740242

ふりがな

だいこうじ

ご由緒

大光寺の創建は、推古天皇の(609)、百済より来朝した日羅上人の開基と伝える。 本尊の十一面観音の他、諸仏も上人の作という。ところが、宝亀5年(774)の落雷で本尊もろとも焼失した。後に行基菩薩が小堂を再建し、本尊も自ら刻んで安置したという。
寛平年間(889-897)、大宰府にいた藤原高房という人は観音信仰が厚く、観音像の造立を思い立って、唐より香木を求めようとしたが、叶わぬままに亡くなった。 その子・黄門侍郎が大宰府近くの海辺で光を放つ香木を見つけ、そこに書かれた文字から父高房が求めていた香木と知って喜び、千手観音像を2体彫らせた。 うち1体は摂州嶋下郡(大阪府茨木市)に一寺を建立して安置した。そしてもう1体を大宰府に持ち帰った。
ところがその尊像は、夜毎に光を放ちながら筑後の方に飛んで行き、また戻って来るので、あるとき黄門が尊像の行き先を追っていくと、そこには中に十一面観音像を祀る一宇の草堂があったという。 黄門は喜び、新しい堂宇を建立し、十一面観音像と自分の千手観音像を一緒に祀ることにした。このような縁から、この観音堂がある山を飛形山とびがたさんと呼ぶようになった。
その後、再び火災があって、堂・尊像ともに焼失したが、唯一焼け残った千手のうちの一手を、後に十時氏が新しく千手観音像を造り、その胎内に納めたという。 宝永3年(1706)谷中の村人たちが誓願を起こして堂を建立し、観音様を山から現在地に移したと伝えられる。
大光寺は、14年ほど前までは、井上宗規尼という尼住職が98歳まで独りで観音堂を守っていたが高齢で山を下り、現在は無住。同じ宗派で、すぐ近くの開運寺の住職が兼務している。 本尊のご開帳は子年で、12年に一度2日間だけという。

電話番号

0943-23-0710(開運寺)

編集前:0943-23-4877

ご祭神/ご本尊

十一面観世音

駐車場

あり

御朱印

あり

参拝所要時間

約15分

参拝料

無料

山号

飛形山

創立

609年

創始者/開山・開基

日羅上人

巡礼

筑後三十三箇所観音霊場第31番札所

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