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もみじはちまんぐう

紅葉八幡宮の編集履歴
2021年03月23日(火)
公式福岡県 藤崎駅

紅葉八幡宮さんのプロフィール画像
紅葉八幡宮
2021年03月23日 16時56分

見所

神社にはそれぞれの主な御神徳があります。なぜその御神徳・御利益が崇敬されているのかを調べてみるのも一つの楽しみ方かもしれません。
紅葉八幡宮の様々な御神徳の中でも、特に崇敬を受けている御神徳・御利益の由縁をご紹介いたします。

【縁結び】…かつて当宮が村一円の鎮守であった頃、2代目藩主黒田忠之候は神社横の茶屋に来ていました。その近くで作業をしていた村娘がうっかり泥を飛ばしてしまい、あろうことかお殿様の袴にかかってしまいました。その村娘はお殿様の御前に呼び出されます。罰を受けるのではと怯えていた娘にお殿様は優しい言葉をかけ、采女(お手伝い)として城にくるよう伝えました。
お殿様は美しい村娘と恋に落ちたのです。その村娘は後に継室となり、二人間にできた子が3代目の藩主となります。

【安 産】…「紅葉」の語源となったとされる「揉(も)み出(い)づ」と赤ちゃんが産道を揉み出るさまをなぞらえ、安産に縁起の良い神社名とされています。また、福岡藩2代目藩主黒田忠之候の継室は当神社にて安産を祈願され、神社の西隣の産室で世継ぎ(3代目藩主)をお産みになりました。

【子守護】…もみじは古来より子どもの手の形に似ているとされ、子どもの守り神にふさわしい神社名とされています。昔から村人の間では、子ども好きの神様として親しまれたそうです。江戸時代、日本三大騒動のひとつ「黒田騒動」の最中、子どもであった藩主を当宮の神様と氏子たちが懸命にお守りしたと伝えられています。

【厄除け】…福岡藩主の厄年祈祷は当宮で行われておりました。他にも、飢饉や疫病など、藩に災いが起きたとき、歴代藩主自ら当神社に参拝御祈祷されることが慣例となっていました。

【開運出世】…当宮は一族の守り神からはじまり、村の鎮守となり、江戸時代には藩の守護神まで発展いたしました。また、幼き頃の藩主光之候は、藩主になれますよう祈りをささげておりました。 そして無事に藩主になったお礼として、当宮に3万2千坪の広大な神領を与え、荘厳な社殿や鐘楼しょうろう、能舞台などを造営なさいます。

編集前:神社にはそれぞれの主な御神徳があります。なぜその御神徳・御利益が崇敬されているのかを調べてみるのも一つの楽しみ方かもしれません。
紅葉八幡宮の様々な御神徳の中でも、特に崇敬を受けている御神徳・御利益の由縁をご紹介いたします。

【縁結び】…かつて当宮が村一円の鎮守であった頃、2代目藩主黒田忠之候は橋本村の茶屋に来ていました。その近くで作業をしていた村娘がうっかり泥を飛ばしてしまい、あろうことかお殿様の袴にかかってしまいました。その村娘はお殿様の御前に呼び出されます。罰を受けるのではと怯えていた娘にお殿様は優しい言葉をかけ、采女(お手伝い)として城にくるよう伝えました。
お殿様は美しい村娘と恋に落ちたのです。その村娘は後に継室となり、二人間にできた子が3代目の藩主となります。

【安 産】…「紅葉」の語源となったとされる「揉(も)み出(い)づ」と赤ちゃんが産道を揉み出るさまをなぞらえ、安産に縁起の良い神社名とされています。また、福岡藩2代目藩主黒田忠之候の継室は当神社にて安産を祈願され、神社の西隣の産室で世継ぎ(3代目藩主)をお産みになりました。

【子守護】…もみじは古来より子どもの手の形に似ているとされ、子どもの守り神にふさわしい神社名とされています。昔から村人の間では、子ども好きの神様として親しまれたそうです。江戸時代、日本三大騒動のひとつ「黒田騒動」の最中、子どもであった藩主を当宮の神様と氏子たちが懸命にお守りしたと伝えられています。

【厄除け】…福岡藩主の厄年祈祷は当宮で行われておりました。他にも、飢饉や疫病など、藩に災いが起きたとき、歴代藩主自ら当神社に参拝御祈祷されることが慣例となっていました。

【開運出世】…当宮は一族の守り神からはじまり、村の鎮守となり、江戸時代には藩の守護神まで発展いたしました。また、幼き頃の藩主光之候は、藩主になれますよう祈りをささげておりました。 そして無事に藩主になったお礼として、当宮に3万2千坪の広大な神領を与え、荘厳な社殿や鐘楼しょうろう、能舞台などを造営なさいます。

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