曹洞宗高巌山
梅林寺の編集履歴
ご由緒
山本郡荷上場村に梅林寺と云古刹あり。
山本郡荷上場村に、梅林寺という古刹がある。延享のころ井戸を掘らせた時、地下から大きな棺を掘り出した。壊してみると、三重に覆いがしてあり、中に棺の本体があった。これも壊してみると、朱で塗り込めてあり、絹布の中に美少年がいて、生きている人が寝ているかのようである。蓋には、「羽州扇田住浅利勘兵衛則章(のりあきら)死する年十八歳、干時応仁戊子九月廿日」とあった。側に無銘の短刀がある。人々は奇異に思い、人に見せようかとしているうち、春の雪が溶けるように消失してしまった。朱を使うと、何年を経ても生きているかのように保てるという。生前は高貴な人であったのであろう。
奥羽の秀衡の墓には大きな髑髏があったが、泉の三郎であろう。このときも短刀が出てきた。
此処に葬りしもいふかるへし。
「黒甜瑣語」
編集前:山本郡荷上場村に梅林寺と云古刹あり。
山本郡荷上場村に、梅林寺という古刹がある。延享のころ井戸を掘らせた時、地下から大きな棺を掘り出した。壊してみると、三重に覆いがしてあり、中に棺の本体があった。これも壊してみると、朱で塗り込めてあり、絹布の中に美少年がいて、生きている人が寝ているかのようである。蓋には、「羽州扇田住浅利勘兵衛則章(のりあきら)死する年十八歳、干時応仁戊子九月廿日」とあった。側に無銘の短刀がある。人々は奇異に思い、人に見せようかとしているうち、春の雪が溶けるように消失してしまった。朱を使うと、何年を経ても生きているかのように保てるという。生前は高貴な人であったのであろう。
奥羽の秀衡の墓には大きな髑髏があったが、泉の三郎であろう。このときも短刀が出てきた。
此処に葬りしもいふかるへし。
「黒甜瑣語」
御朱印
あり
巡礼
秋田三十三観音霊場
第二十九番札所
編集前:秋田三十三観音霊場
第二十九番札所