かんまんじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
蚶満寺ではいただけません
広告
蚶満寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月28日(土)
参拝:2023年10月吉日
秋田県にかほ市象潟町象潟島に境内を構える、皇宮山 蚶満寺、かつての景勝地、象潟古くから文人墨客が訪れた名刹として知られ、元禄2年(1689年)には松尾芭蕉がこの地を訪れてます、北國八十八ヶ所霊場、奥の細道みちのく路三十三ヶ所霊場参拝にて2023.10に訪れました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は皇宮山、寺号、院号は蚶満寺、ご本尊は釈迦牟尼仏、宗派は曹洞宗、北國八十八ヶ所霊場 第四十五番札所、奥の細道 みちのく路三十三ヶ所霊場 第十九番札所、本荘領三十三観音霊場、第十一番札所。札所ご本尊は釈迦牟尼仏、蚶満寺の創建は案内板によると、延暦年間(782~806)慈覚大師と云われています。仁寿3年(853年)に天台座主円仁(慈覚大師)の開創と伝えられる。蚶方(きさかた)の美景と神功皇后の伝説によりこの地を占い、皇后山干満珠寺と号したという。神功皇后の伝説とは、神功皇后が三韓征伐の帰路、大シケに遭って象潟沖合に漂着し、小浜宿禰が引き船で鰐淵の入江に導き入れたが、そのとき皇后は臨月近かったので清浄の地に移したところ、無事に皇子(のちの応神天皇)を産み終えたという『蚶満寺縁起』所載の伝承。その後、象潟で半年を過ごし、翌年の4月鰐淵から出帆し、筑紫の香椎宮に向かったという。蚶満珠寺の名は、干珠・満珠を皇后が持っていたことに由来するとされる。西行法師、北条時頼、松尾芭蕉などの多くの著名人が訪れたこともある名刹です。特に松尾芭蕉は「この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて・・・」と蚶満寺から見る象潟の風景を絶賛しています。元々は波打ち際にあったと思われる旧参道には松並木が健在して当時を忍ばしてくれます。山門はにかほ市指定文化財、は江戸中期の八脚門で2体の金剛力士像が安置されて、門に施された彫刻も江戸後期の永泉寺山門の源流ともとれる凝った造りになっています。境内は蚶満寺七不思議と称される、「夜泣きの椿」、「木のぼり地蔵」、「猿丸太夫姿見の井戸」、「咲かずのツツジ」などの見所があります。蚶満寺の境内も元々は島であり、舟繋ぎ石などの遺構も残っています。樹齢1000年以上 と伝えられる大タブは象潟と蚶満寺の歴史を是非訪れて見て下さい
すてき
投稿者のプロフィール
japan-wel…409投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。