こうぼうどう
文政の頃(1818~1829)、ある者が各地の霊場を巡歴し、当地の千田利左エ門宅に宿を求めた。不幸にも、志半ばにして遂にこの世を去ってしまった。時に、文政12年(1829)1月26日で、法名を玄翁了直禅者という。 その後、利左エ門一家が、その志をついで自らの宅地にささやかな堂宇を建てて弘法大師を祀った。 大正11年3月、宮島組の大師とするために、楉埜神社の社務所を移築改修した。 (扶桑町史より)
弘法大師
千田利左エ門
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに同意したものとみなします。