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さいりんじ|真言宗豊山派清滝山(せいりゅうざん)

西林寺
愛媛県 鷹ノ子駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

仁王門前 20台、大型2台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第48番
伊予十三仏霊場第8番

おすすめの投稿

to_sun
2023年05月31日(水)
189投稿

【清滝山(せいりゅうざん)安養院(あんよういん)西林寺(さいりんじ)】
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開基:行基菩薩
 西林寺は、741(天平(てんぴょう)13)年、行基菩薩が第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願により伊予に入り、国司、越智玉純(玉澄)公とともに一宮別当寺として堂宇を建立したのがはじまりという。当時は現在の松山市小野播磨塚(現西林寺の北東2-3km)にあり、本尊に十一面観音菩薩像を彫って安置した。807(大同2)年、弘法大師(774-835)がこの地を訪れた際、国司の越智実勝公と相談して寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。
 また、大師は、旱魃で苦しむ村人を救うために錫杖(しゃくじょう)を地面に突き、清水の水脈を見つけたという。この泉は「杖(じょう)の淵」と呼ばれ、寺から300m南西の高井の地に今も残っている。

西林寺(愛媛県)

【48_T.Hamada's view】

西林寺(愛媛県)

【48_一願地蔵】
 納経所前には池があり、お地蔵さまが鎮座。「一願地蔵」と呼ばれ、一つだけ願い事を叶えてくれると言われている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

西林寺(愛媛県)

【48_福授地蔵(一願地蔵)】
 願いを一つ叶えてくれるという。

西林寺の本殿

【48_本堂】

西林寺(愛媛県)

【48_大師堂】

西林寺(愛媛県)

【48_仁王門】
 境内は周りより一段低い場所にあり、邪悪な者が踏み入れると無間(むけん)地獄に落ちると考えられている。

西林寺の建物その他

【48_仁王門前の橋】
 橋を渡り、数段下りて参道に至る。

西林寺(愛媛県)

【48_龍の手水舎】

西林寺の建物その他

【48_正岡子規の句碑】
 「秋風や 高井のていれぎ三津の鯛」「ていれぎ」は清流に自生する草で、クレソンやセリににて、ピリッと辛いところが刺身のツマに適している。子規直筆。

西林寺(愛媛県)

【48_土参り大師】
 厄除けのご利益がある。

西林寺の建物その他

【48_杖の淵(西林寺奥之院)】
 「全国名水百選(1985(昭和60)年選定)」に選ばれている。

西林寺の御朱印
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歴史

寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。門前にはまた正岡子規の句碑があり、「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。「ていれぎ」は刺し身のツマに使われる水草で、このあたりの清流に自生し、松山市の天然記念物とされている。
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の天平13年、行基菩薩が勅願により伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。
このころ村は大旱魃で苦しんでおり、弘法大師は村人を救うために錫杖を突き、近くで清水の水脈を見つけた。寺の西南300mにある「杖の淵」はその遺跡とされ、水は涸れたことがなく土地を潤し、昭和60年の「全国の名水百選」にも選ばれている。
時代は江戸・寛永年間(1624〜44)、火災で堂塔を焼失した。元禄13年(1700)に松平壱岐守はじめ、家老、奉行など諸役人の手により一部を再建、宝永4年(1707)には中興の祖、覚栄法印が村民の雨乞い祈願を成就して松山藩に帰依され、本堂と鐘楼堂の再興に尽力、さらに江戸末期に大師堂と仁王門を復興している。現大師堂は平成20年(2008年)に再建された。

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西林寺の基本情報

住所愛媛県松山市高井町1007
行き方

鷹ノ子駅 下車(0.8km)
47【八坂寺】より
(自家用車)約8分 約4km
(徒歩)約1時間 約4.5km
49【浄土寺】より
(自家用車)約10分 約3km
(徒歩)約50分 約3km

アクセスを詳しく見る
名称西林寺
読み方さいりんじ
参拝時間

7:00~17:00

トイレ仁王門の横
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号089-975-0319
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巡礼の詳細情報

伊予十三仏霊場

第8番

御本尊:聖観音菩薩

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
山号清滝山(せいりゅうざん)
院号安養院(あんよういん)
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代天平13年(741)
開山・開基行基菩薩
ご由緒

寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。門前にはまた正岡子規の句碑があり、「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。「ていれぎ」は刺し身のツマに使われる水草で、このあたりの清流に自生し、松山市の天然記念物とされている。
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の天平13年、行基菩薩が勅願により伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。
このころ村は大旱魃で苦しんでおり、弘法大師は村人を救うために錫杖を突き、近くで清水の水脈を見つけた。寺の西南300mにある「杖の淵」はその遺跡とされ、水は涸れたことがなく土地を潤し、昭和60年の「全国の名水百選」にも選ばれている。
時代は江戸・寛永年間(1624〜44)、火災で堂塔を焼失した。元禄13年(1700)に松平壱岐守はじめ、家老、奉行など諸役人の手により一部を再建、宝永4年(1707)には中興の祖、覚栄法印が村民の雨乞い祈願を成就して松山藩に帰依され、本堂と鐘楼堂の再興に尽力、さらに江戸末期に大師堂と仁王門を復興している。現大師堂は平成20年(2008年)に再建された。

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