せんがくじ|曹洞宗|萬松山
泉岳寺のお参りの記録一覧(3ページ目)
旧暦の元禄15年(1702年)のこの日に赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入りして仇討ちを成し遂げた日。
恒例の『義士祭』が行われました。
冷たい雨が降りしきる中で、多くの方がお参りにいらしてました。
通りから入って最初の門が「中門」です。
山門前の銅像は、大石内蔵助。大正時代の作。
元禄羽織を身につけて、連判状を手にして東の空(江戸)を睨んでいる姿だそうです。(HPより)
「山門」です。
現在の門は、天保年間のもの。祭礼ということで、露店が多く出ていました。
普段は、山門を通り抜ける事が出来ずに左右の入口から入りますが、この日は正面から通り抜けられました。
この門の一階天井部に「江戸三龍」がはめ込まれているようですが、気がつきませんでした。
本堂です。第二次世界大戦で消失後、昭和28年に落成しました。
ご本尊は釈迦牟尼仏。そして秘仏とされる大石内蔵助の守り本尊、摩利支天が祀られています。
本堂上の扁額。「獅子吼(ししく)」は、お釈迦様の説法を意味するそうです。
血染めの石。右手に隠れているのが血染めの梅。
浅野内匠頭が庭で切腹した際、血がかかったと云われる石と梅の木です。
首洗い井戸。
今日のメインである「赤穂浪士四十七士」の墓参です。
雨にもかかわらず、大勢の方が訪れていました。
線香を一人一人に手向け、お参りします。線香の煙が上がっています。
墓地の外から。
創建 慶長17年、徳川家康により建立
徳川家康が今川義元の菩提を弔う為に創建した
宗派 曹洞宗
御本尊 釈迦如来
浅野長矩の墓と赤穂義士四十七士の墓があり、「主税の梅」など赤穂義士ゆかりのものも点在します。
🌿討ち入りの日の12月14日は義士祭🌿
赤穂義士の法要が行われるそうです
山門
山門
大石内蔵助の銅像
本堂
赤穂義士墓所の門
(義士墓入り口の門)
首洗い井戸
吉良上野介の首級を洗った水を汲んだ井戸
東京都港区高輪 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺
【萬松山泉岳寺の縁起】
当萬松山泉岳寺は、慶長17年(1612年)、徳川家康が幼年、身を寄せた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田の地に創建し、門庵宗関和尚(1546年~1621年)を迎えて開山となしました。宗関和尚は永平寺の道元禅師によって開かれた曹洞宗の第4代瑩山禅師開創の総持寺の門派である太平山大中寺(栃木県)の11世建室宗寅和尚(義元の実弟)の高弟であり、今川義元の孫と云われる人物で、度々登城を請われ法問を聴取されたと伝えられています。
山号の萬松山は松平の松より、「松萬代に栄ゆる」の意から、寺号泉岳寺は、徳川に因み、「源の泉、海岳に溢るる」の意からつけられたと旧梵鐘の銘に記されています。
寛永18年(1641年)の大火によって伽藍が焼失、3代将軍家光(1604年~1651年)の命により現在の高輪の地に移転再建されました(一説に移転は正保年間〈1644年~1648年〉とも)。
この移転に際しては、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷(みずのや)の五大名が尽力して完成したその因縁により、爾後この五大名が共に檀越となり外護の任に当っています。
江戸時代当寺は曹洞宗の江戸三ヶ寺(青松寺・総泉寺・泉岳寺)の一つとして、大僧録たる関三刹(埼玉県龍穏寺・千葉県総寧寺・栃木県大中寺)の下、特に本寺大中寺の下で触頭として曹洞宗の行政面の一翼を担いました。
また、吉祥寺旃檀林・青松寺獅子窟とならぶ江戸三学寮の一つとして重きをなし、宗内外の碩学によって仏典・祖録・漢籍等が講じられ、曹洞宗僧侶の養成に大いに寄与しました。山門から中門の両側には出身地別の九棟の寮舎が並び、常時200名程の学僧が修学していたといいます。
また、赤穂藩主浅野家の菩提寺であったことから、元禄15年の義挙(1702年12月14日)の後は、赤穂四十七義士の墓所としても知られ、討入り約50年後より上演された歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の興行が盛んになるに伴って一層多くの参詣者が訪れるようになりました。
現存する山門は天保年間に当寺34世大道貞均和尚によって建立され、二階には釈迦三尊及び十六羅漢が安置され、一階中央天井には我が国彫金の名匠、関義則の龍蟠が嵌め込まれています。
明治初期には廃仏毀釈の余波を受けて、やや荒廃を余儀なくされましたが、当寺40世圓頓霊巌和尚の地道な努力と創意工夫とによって本堂、庫院を恢興し、また煉瓦造りの義士宝物館を創設し、既存の石巒師資制作の義士像を展示する木像堂と共にこれらを公開することによって広く衆望を集めて寺運の再興を果し、次代の41世普天霊明和尚がこれを継承して関東大震災に崩壊せる義士宝物館を再建し、書院を新築して、寺域の拡張・整備に努め、明治・大正・昭和に跨る当山の隆昌期が築かれました。
然るに先の第二次世界大戦の戦渦に遭遇し、山門・義士館(旧義士館=現講堂)以外の諸堂が焼失し、歴代の功業は大いに削がれてしまいましたが、次の42世祖天凖爾和尚は戦後の苦境の中に諸堂の再興を発願し、遂に昭和28年(1953年)に本堂の再建を果し、以後これが継承されて現在に至る伽藍・境内等の整備が戦後復興の一環として続けられています。
先年義士討入り300年を記念し、浄財を募って浅野家の塋域(史蹟)を整備し、新たに赤穂義士記念館(平成13年開館)を建設して、寺宝と共に大石良雄の書状をはじめとする赤穂義士関係の資料を展示して、赤穂義士の已むに已まれぬ心情を伝承することに資しています。
平成16年、江戸期の学寮の伝統と戦前に宗門の宗義自覚の発露であった道元禅師鑚仰会の活動等を再興すべく、泉岳寺学寮講座を開設し、漢学・仏教学・宗学の各講座を毎週開講し、また参禅会を公開して道俗の好学の士の渇望に応えています。
夜は瀧口で焼鳥と懐石を。第一京浜沿いのらーめん徳も良い。
八王子の子安神社を出ましたが、まだ10時前。
最近「お寺」のお参りしてないな… と思い立ち、
山側の八王子から海側の港区・泉岳寺を目指す。
電車の乗り換え案内で検索すると「高輪ゲートウェイで下車」とある。
まだこの駅で乗降したことが無かったので、色々と乗り継いで到着。
「ここホントに都区内のJRの駅?」と思うほど利用者が少なく、
駅の周りも更地か開発中です。
10分ほど歩いて泉岳寺の入り口に。
お寺に向かう右側に参拝者向けのお店が3店ほどあります。
泉岳寺と言えば「赤穂浪士」所縁のお寺。
山門の入り口に「大石内蔵助」の像が南を向いています。
本堂の前は広くて整然としています。
お参りのあと、赤穂浪士の墓地の入り口前の石柱を見て廻ったのですが、
名だたる会社がズラリ…映画会社が目立ちましたね…
一巡の後、御朱印のお願いに伺うと、コロナを鑑みて
「現在取りやめ中」・「書き置きなし」の張り紙が…
この投稿の前の方の書き込みを繁々とみると、半年前も同様の様子。
御朱印は、またの機会に…
高輪ゲートウェイ 人がいない…
山門です
見取り図
大石内蔵助の像
入り口からの本堂
泉岳寺(せんがくじ)は、港区にある曹洞宗の寺院。山号は萬松山。本尊は釈迦如来。江戸時代の曹洞宗の有力寺院「江戸三箇寺」の一つ(他は青松寺(港区)、総泉寺(板橋区))。「忠臣蔵(赤穂事件)」の浅野内匠頭長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られている。
創建は江戸初期の1612年、徳川家康が江戸城近くの外桜田に門庵宗関を招いて立てた寺院。1641年の寛永の大火で焼失したが、徳川家光が5大名に命じて高輪にて再建。その後、「忠臣蔵」の件があり、毎年4月初旬と12月14日に義士祭が開催されるほか、境内には赤穂義士記念館がある。
当寺は、その名が付いた地下鉄・泉岳寺駅から徒歩数分の小高い場所にある。車だと国道15号(第一京浜)を泉岳寺交差点で西向きに都道415号に入り50mちょっと。
参拝時は週末の夕方で、コロナ禍ではあるが参拝者はぱらぱらと途切れることなくいた。当寺ではコロナ緊急事態宣言期間中、境内は開いているが、御朱印は中止とのこと。
※巡礼ではない寺社で見どころは一通り見たけど御朱印は未拝受、次回再訪しようか最も迷うパターン...(涙)
第一京浜の泉岳寺交差点から見える、泉岳寺の入口<中門>。江戸末期の1836年建立。切妻造、本瓦葺、一間一戸四脚門。左右に袖塀、正面右手に通用門。禅宗寺院の中門の様式の中でも格式が高いそう。
中門に掛かる、山号を記した扁額。
参道を進むと<山門>。
山門前の右手に立つ<大内内蔵助良雄像>。
山門の右手の入口から境内に入り、<本堂>を望む。
本堂正面。
本堂向かって右手にある<庫裏>。総受処になっていて御朱印もこちら。2つ張り紙があって、「新型コロナで当面の間、御朱印の受付を休止」と「書置きの御朱印はございません」とのこと...(涙)
本堂向かって左手にある<講堂>。2階は<義士木像館>になっている。講堂左側の庭園には、主税梅、瑶池梅、血染の梅、血染の石がある。
本堂右側の<梵鐘・鐘楼>。写真右側の像は、澤木興道老師像。
講堂の左脇にある<赤穂義士墓地>へ続く小道。突き当りが<義士墓入口の門>、右手が<首洗い井戸>、左手が<赤穂義士記念館>。
300年もの昔、12月14日四十七士討ち入りの日。多くの人が墓参に訪れていました。今日明日で大石内蔵助たちが切腹した場所が公開されています。殿様への忠義、すごいです!
浅野内匠頭、享年35
大石内蔵助、享年45
18で切腹とは!
大石内蔵助ら切腹の地
今日明日のみ特別に見れます
忠臣蔵の赤穂四十七士で有名な泉岳寺に参拝してきました。以前からお参りしたかったお寺で、四十七士のお墓にもお参りさせていただきました。。
境内は静観で、厳かな雰囲気でした。またこの日は本堂が開放されており、中に入ることができました。
その後に四十七士と浅野長矩のお墓にお参りさせていただき、線香もあげさせていただきました。
日本史が好きなので本当に来てよかったです。
また御朱印帳が素晴らしく、一番のお気に入りになりました。
この泉岳寺はちょっと頻繁にお参りに来ようと思うほどのお気に入りのお寺になりました。
浅野長矩のお墓です。
赤穂四十七士のお墓です。奥に大石内蔵助のお墓があります。
泉岳寺の御朱印です。御朱印を頂く前に写経をお納めしてから頂きます。
泉岳寺の御朱印帳です。泉岳寺では納経帖となります。
泉岳寺の御朱印帳(納経帖)です。この御朱印帳は今まで一番のお気に入りで、この「義」の文字が最高です!
三田線で泉岳寺駅下車したら、坂の上にすぐ見えます。
ホトカミで他の投稿を見ていたところ、「納経をしないと御朱印が頂けない」と書いてありましたので、そのつもりで行きました。
御朱印代金はお気持ちでということです。
お釣りも用意してございます、ということですが何かカッコ悪いのでピッタリ持っていく方が良いと思います。
私は500円にしました。
忠臣蔵の赤穂浪士の墓があります。
お線香あげてきました。
お墓の写真を撮るのはちょっと、、、なのでありません。
帰りは高輪ゲートウェイから帰りました。
中門
中門をくぐると土産屋が並んでいました。
山門
案内図
大石内蔵助像
山門の裏側
本堂
本堂アップ
澤木興道老師像
澤木興道老師像
赤穂浪士墓所入口
血染めの梅
血染めの石
首洗い井戸
港区の文化財だそうです。
赤穂浪士の墓がこの奥にありました。
200円でお線香を買えます。
御朱印所の脇に長机とイスが置かれており、その上に置かれた小さい棚の中に、この紙と筆ペンが入っています。
上からなぞって、願文を自分で書いたら御朱印所に提出(納経というかたちになる)。
この後で御朱印を頂けます。
娘の受験の合格祈願を。
赤穂浪士ゆかり「泉岳寺」
泉岳寺駅より坂道登ってすぐ。
「参拝者以外駐車禁止」って看板あるけど駐車場がわかんない。
中門くぐり、お土産物店が少し並び山門。
山門横に「大石内蔵助芳雄像」。
山門くぐって正面が本堂、右手に寺務所、左手に記念館や木像館があり、そこを抜けると赤穂義士だけをまとめた墓所。結構広い。
寺務所で御朱印の受付をし、番号札をもらい、その間にテーブルの箱から筆ペンと用紙を取り納経(ってもなぞるだけ)して待つスタイルです。
ただもらうよりこの方が良いな。本来の意味でもあるし。筆ペンの慣れてない感が。昔からこうだったか全然覚えてない。
15年ぶりぐらいにお詣り。行った記録は御朱印にあるけどあんまり覚えてない。
12月じゃなくてもそこそこ人が多く、すぐ横の中学校の説明会も重なって周囲も人が多かった。
開業したばかりの東京・JR山手線の高輪ゲートウェイ駅を見学がてら、高輪・三田界隈の寺院をお参りして回りました。
新駅に近い泉岳寺は「忠臣蔵」の浅野内匠頭と赤穂浪士の墓所として知られます。新駅効果でしょうか、参拝客で結構にぎわっていました。
お参りは5年ぶりでしたが、御朱印をいただく場合は、その場で経典の一部を写経して納めるようになっていました。御朱印は納経の証しですが、近年のブームの中で本来の意味合いが薄れ、集めることが目的化する風潮がみられるのは確かだと思います。寺院によるこうした納経の試みも、意義は大きいと思いました。
山門脇にある大石内蔵助の像
吉良上野介の首を洗ったという井戸
赤穂浪士たちの墓所
5年前にお参りした時には、中門横のマンション建設に反対する看板やのぼりがそこかしこにありましたが、今は落ち着いているように見えました
高輪ゲートウェイ駅。見物客や鉄道ファンらで混雑していました
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