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せんがくじ|曹洞宗萬松山

泉岳寺
東京都 泉岳寺駅

4〜9月:7:00~18:00
10〜3月:7:00~17:00

御朱印・御朱印帳

御朱印(1種類)

本尊釋迦如来の御朱印

300円

真ん中に本尊釋迦如来と書かれ、右下に四十七士廟所の文字、大石家の右二つ巴の家紋の印、真ん中に仏法僧寶の三宝印、左下に泉岳寺の文字、萬松山泉岳寺の印が押されています。
泉岳寺本堂には、本尊「釈迦如来」のほか、曹洞宗の宗祖道元禅師、瑩山禅師、また大石内蔵助の守り本尊である秘仏「摩利支天」などが安置されています。
赤穂義士墓地では、亡き主君浅野内匠頭に代わり吉良邸に討ち入り本懐を遂げたのち切腹と相成った大石内蔵助以下四十七士の菩提を弔っています。

御朱印帳(1種類)

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御朱印について
御朱印
あり

赤穂浪士ゆかりのお寺ならではの、四十七義士をあしらったカッコイイ御朱印帳!

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
なし

なし

その他の巡礼の情報

曹洞宗江戸三ヶ寺

おすすめの投稿

みち
2023年07月26日(水)
191投稿

慶長17年(1612年)に門庵宗閑(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院です。
しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利、浅野、朽木、丹羽、水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がった。浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。
~当寺公式HPより抜粋~

禅宗のお寺ということもあり、ピリッとした厳かな雰囲気がありました。朝9時前の訪問でしたが、参拝者の方がチラホラ見えました。
御朱印の待ち時間の間に、写経が必須であり、一番簡単なものを選びましたが、見るに耐えない出来でありますので、写経前のものを掲載致しました(笑)

泉岳寺(東京都)

中門
泉岳寺には三門(総門、中門、山門)があったが、現在は中門、山門のみが残っている

泉岳寺(東京都)

山門
この門は天保3年(1832年)に34世大道貞鈞(だいどうていきん)和尚代に再建された

泉岳寺(東京都)

山門の案内板

泉岳寺(東京都)

案内図

泉岳寺の像

大石内蔵助良雄銅像

泉岳寺の本殿

本堂
ご本尊は釈迦牟尼仏。

泉岳寺(東京都)

梵鐘・鐘楼堂

泉岳寺(東京都)

御朱印受付
本堂の右手にあります

泉岳寺の建物その他
泉岳寺(東京都)

瑤池梅
義士の墓守をした堀部妙海法尼が瑤泉院から賜った鉢植えの梅を移植したもの

泉岳寺(東京都)

血染めの梅、血染めの石
浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石

泉岳寺(東京都)

首洗い井戸
義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告

泉岳寺(東京都)

義士墓入口の門

泉岳寺(東京都)

義士墓入口の門を潜った所で、線香を購入。四十七士の墓全てに1~2本線香をお供えしました🙏

泉岳寺(東京都)

参道商店街
何だか寂しい感じがしました😅

泉岳寺(東京都)

写経
あまりに出来映えが悪すぎて、見るに忍びないので…

泉岳寺(東京都)

御朱印(直書き)
御朱印代はお気持ちとのことでした😌

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行事

赤穂義士祭(12月・4月)

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歴史

泉岳寺は曹洞宗の寺院です。
曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県の永平寺、もう一つは横浜鶴見の総持寺です。道元禅師の主著は仏教の神髄を表した「正法眼蔵」という九十五巻に渡る書物です。
さて、泉岳寺は慶長十七年(1612)に「門庵宗関和尚」を拝情して徳川家康が外桜田に創設した寺院です。(現在のホテルオークラの近く)
しかしながら、寛永十八年(1641)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹波・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がったのです。浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。
一般的に赤穂義士のお墓があることで有名ですが、創建時より七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶二百名近くが参学する叢林として、また曹洞宗江戸三ヶ寺ならびに三学寮の一つとして名を馳せていました。
その家風は引き継がれており、人数は少ないものの、大学で仏教を学びつつ泉岳寺で修行を勤めるという若い修行僧が、現在もいます。

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泉岳寺の基本情報

住所東京都港区高輪2-11-1
行き方

都営地下鉄浅草線「泉岳寺駅」A2から徒歩1分

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名称泉岳寺
読み方せんがくじ
参拝時間

4〜9月:7:00~18:00
10〜3月:7:00~17:00

参拝料

境内無料、赤穂義士記念館・義士木造館:大人500円、小人250円 ※障害者割引有

トイレあり
御朱印あり

赤穂浪士ゆかりのお寺ならではの、四十七義士をあしらったカッコイイ御朱印帳!

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号03-3441-5560
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.sengakuji.or.jp/
SNS

詳細情報

ご本尊釈迦牟尼仏
山号萬松山
宗旨・宗派曹洞宗
創建時代慶長十七年(1612)
開山・開基門庵宗関
文化財

赤穂四十七義士墓所(国指定史跡)

ご由緒

泉岳寺は曹洞宗の寺院です。
曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県の永平寺、もう一つは横浜鶴見の総持寺です。道元禅師の主著は仏教の神髄を表した「正法眼蔵」という九十五巻に渡る書物です。
さて、泉岳寺は慶長十七年(1612)に「門庵宗関和尚」を拝情して徳川家康が外桜田に創設した寺院です。(現在のホテルオークラの近く)
しかしながら、寛永十八年(1641)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹波・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がったのです。浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。
一般的に赤穂義士のお墓があることで有名ですが、創建時より七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶二百名近くが参学する叢林として、また曹洞宗江戸三ヶ寺ならびに三学寮の一つとして名を馳せていました。
その家風は引き継がれており、人数は少ないものの、大学で仏教を学びつつ泉岳寺で修行を勤めるという若い修行僧が、現在もいます。

体験博物館武将・サムライ有名人のお墓

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