あべもんじゅいん|華厳宗|安倍山
安倍文殊院 のお参りの記録一覧(4ページ目)
安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の創建で、国宝の文殊菩薩様がご本尊です。「安倍」つながりなのか安倍晴明や安倍仲麻呂の像も祀られています。
個人的には第二次世界大戦において日本の文化財保護のため、アメリカ軍に日本の古都への爆撃を避けるように説得を行ったウォーナー博士への記念塔が印象的でした。
政治では戦争を行っても、歴史や文化への価値は失うことがあってはならないでしょう。
そのことが世界遺産の意義であり、人類共通の財産を受け入れることで、お互いを知る機会となり、敬意を払うことにつながる。
文化財とはそれぞれの文明の特徴を放ちながらも人類普遍の価値を持つものとしてみる視点が大切だな、と感じました。
参拝記録
今回二つ目の目的地
日本三大文殊の一つ
本尊の文殊菩薩像がすごい 圧巻
本堂は入ってみる価値ありです
直書き
直書き
直書き
書き置き
春のうさぎ限定御朱印
本堂
金閣浮御堂
白山堂
十一面観音
晴明堂
如意宝珠
ジャンボ花絵
展望台に上がらないとわからない笑
#安倍文殊院 #崇敬寺 #安倍寺
ご本尊はモンジュ菩薩。
#文殊菩薩 #渡海文殊群像
ここ安倍文殊院のモンジュ菩薩には脇侍が4尊いて、5躰を総称して渡海文殊群像(とかいもんじゅぐんぞう)と呼ぶ。HPによれば、これから海を渡り説法の旅に出かけるところだと。なお全員、国宝。
脇侍の個々の尊名は、善財童子、ウデン王、スボダイ、ユイマ居士。通常、渡海モンジュにはスボダイに代わりブッダハリ三蔵が、ユイマ居士に代わり最勝老人が入るが、安倍文殊院には先に挙げた名前で伝わるとのこと。
同じ奈良県だと、西大寺(奈良市)も渡海モンジュを祀り、善財童子、ウテン王、ブッダバリ三蔵、最勝老人と表記。
また、安倍文殊院と共に日本三文殊に数えられる知恩寺(京都府宮津市)は、善財童子とウデン王が脇侍を務める三尊形式だそうだ。
このうち善財童子は、インドの長者の家に生まれ、毎日遊んで暮らしていたが、ある日頭が悪いことをバカにされてモンジュ菩薩に教えを乞い、彼の勧めで53人の知恵者を順に訪ねた、という話が伝わる。
ところで、弁才天十六童子の中にも善財童子の名が見える。同一尊なのか同名の別の仏様なのか、今でも確信はない。
日本仏像大全書は同じとする。「善財という名前から弁才天の眷属と考えられたともいうが、定かでない」とあり、モンジュ菩薩の弟子という伝承の方が先に存在したような書き方だ。
奈良県桜井市の華厳宗の安部文殊院にご参拝させていただきました☺️
飛鳥時代の有力豪族の安部氏の氏寺で見どころいっぱいです。
ご本尊の文殊菩薩像は鎌倉時代の代表的仏師である快慶(かいけい)によって刻まれたもので、山形県大聖寺の亀岡文殊、京都府天橋立の切戸文殊と共に、日本三文殊の一つと教わりました。
晴明神社(京都)でいただいた水晶ブレスレットをいつものように手首に纏まとって、寺院内のさまざまの国宝のご仏像に参拝して、金閣浮御堂では「七まいり参拝」をして、「〜ないように」の願いを七つあげさせていただきました。
丘の山上の晴明堂で、身滌大祓みそぎのおおはらいを畏かしこみ畏かしこみご奏上させていただきました。少しでも届きましたでしょうか😊(お堂は藤原京跡、神武天皇社、橿原神宮の方角を向いて建っていました。)
たくさんの仏さまの厳おごそかな中に優しい表情をされているお姿が、とても印象的でした。
こころ安まるところです。
精進して また ご参拝させていただけますように☺️
日本三大文殊の一つでもある木造騎獅文殊菩薩(国宝)が安置されているお寺さんです。
大化の改新時、左大臣として名をはせた安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の氏寺として建立されました。
創建当時は現在の位置より西南の方角300mの処にあったとされており、現在の位置に移転されたのは鎌倉時代との事です。元あった場所は史跡公園として今も残っているそうです。
安倍晴明がここで修業したという逸話があり、ゆかりの地という事でも有名です。
山門
本堂 江戸時代 市指定重要文化財
仲麻呂堂 (金閣浮御堂)
文殊院西古墳 飛鳥時代 国指定特別史跡
白山堂 室町時代 重要文化財
安倍晴明堂
如意宝珠 (安倍晴明堂内)
くずは稲荷
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