こくおうじんじゃ
國王神社茨城県 三妻駅
午前~夕刻まで
将門公終焉の地に、三女・如蔵尼が建立した國王神社です。
祟り神として知られる将門公ですが、この地では祟りの性格はございません。
縁者と地域住民たちの追慕によって祀られ、1000年に亘って護られた小さな神社でございます。
祭神は平将門である。将門は平安時代の中期、この地方を本拠として関東一円を平定し、剛勇の武将として知られた平家の一族である。天慶三年(940)二月、平貞盛、藤原秀郷の連合軍と北山で激戦中、流れ矢にあたり、三十八才の若さで戦死したと伝えられる。
その後長い間叛臣の汚名をきせられたが、民衆の心にのこる英雄として、地方民の崇敬の気持は変わらなかった。本社が長く地方民に信仰されてきたのも、その現われの一つであろう。
本社に秘蔵される将門の木像は将門の三女如蔵尼が刻んだという伝説があるが、神像として珍しく、本殿とともに茨城県文化財に指定されている。
名称 | 國王神社 |
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読み方 | こくおうじんじゃ |
通称 | 明神さま |
参拝時間 | 午前~夕刻まで |
参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 本殿裏に有 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
ご祭神 | 《主》平将門命 |
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ご神体 | 寄木造 平将門木像 |
創建時代 | 天禄三年(972) |
創始者 | 如蔵尼(平将門三女) |
本殿 | 茅葺・流造 |
文化財 | 寄木造 平将門木像(県指定文化財)
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ご由緒 | 祭神は平将門である。将門は平安時代の中期、この地方を本拠として関東一円を平定し、剛勇の武将として知られた平家の一族である。天慶三年(940)二月、平貞盛、藤原秀郷の連合軍と北山で激戦中、流れ矢にあたり、三十八才の若さで戦死したと伝えられる。
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体験 | 武将・サムライ伝説 |
概要 | 国王神社(こくおうじんじゃ)は、茨城県坂東市にある神社。平将門を、その終焉の地に祀る神社である。正式には國王神社と表記する。国王大明神や将門大明神の古称がある。旧社格は村社。 |
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歴史 | 由緒[編集] 社伝(「国王神社縁起」及び「元亨釈書」)によると、平将門の戦死の際、難を逃れ奥州の恵日寺付近に庵を結び出家し隠棲していた将門の三女如蔵尼が、将門の33回忌にあたる天禄3年(972年)2月にこの地に戻り、付近の山林にて霊木を得て、将門の像を刻み、祠を建て安置し祀ったのがはじまりとされる。神像は制作年代不詳だが、文化財解説は室町時代の作としている[1]。 御霊信仰に基づき、平将門の神霊を鎮めるために創祀されたという説もある[2]。 慶安元年(1648年)、徳川家光が圭田10石を寄進。 万治2年(1659年)10月、火難により故事不詳となる。 延宝3年(1675年)、拝殿を建立。...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭礼[編集] 例祭日は平将門が没した2月14日である。氏子の間では十四日講という供養行事が代々行われてきた。 11月第2日曜日に「岩井将門まつり」が開催される。旧岩井市が市制施行した昭和47年(1972年)4月を記念して始まった。 |
引用元情報 | 「国王神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99343816 |
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