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るべしべじんじゃ

留辺蘂神社
公式北海道 留辺蘂駅

参拝/24時間
授与所受付時間/午前9時~午後5時

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御朱印について
御朱印
あり

現在5種類の御朱印があり、全て別紙でのお渡しとなります。
御朱印帳をお持ちでなくても受けられますので、御参拝の折には是非。
①留辺蘂神社【通常版御朱印】
②留辺蘂神社【月参り御朱印】
③留辺蘂神社【四季参り御朱印】
④聖徳太子神社の御朱印
⑤温根湯神社の御朱印

限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
-
書き置きのみ
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

社務所前 5台ほど

おすすめの投稿

くま
2024年05月04日(土)
21投稿

事前に参拝連絡して、先に温根湯神社で参拝をしてから伺いました。
宮司さんから直接境内案内を頂き、時間があればと言う事で神道業法の「禊」を拝見し大変貴重な体験をさせて頂きました。
そして、月参りの5月の御朱印(今月は十二支の5番目の辰)を拝受しました。

留辺蘂神社の御朱印

月参りの十二支の5番目辰の御朱印拝受しました。す

留辺蘂神社(北海道)

宮司さんが行った、神道業法の「禊」を身近で拝見ができて貴重な体験ができました。

留辺蘂神社(北海道)

留辺蘂神社の参拝時の拝殿の様子になります。

留辺蘂神社(北海道)

留辺蘂神社手水舎です。
20数年振りに、禰宜さんの奮闘により復活した手水舎です。
使用時に蛇口🚰をひねって、使用後は締め忘れに注意して感謝して使用しましょう。
境内に現れるエゾリスの「煉獄さん」「甘露寺さん」に見立てた置物が鯉のぼり🎏と一緒にいます。

留辺蘂神社(北海道)

留辺蘂神社の神輿殿です。

留辺蘂神社(北海道)

今回は、神輿殿を開けて頂き神輿を撮影させて頂きました。

留辺蘂神社(北海道)

神輿殿の横にある、荒木大人之碑。
初代宮司の石碑で、亡くなられた翌年の1964年建立とありますが、台座以外はあとで再作成されたものである。
石碑の背面には、荒木氏の事が今ではあまり考えられないような表現での記載があるので、読みにくいですが是非解読してみてください。

留辺蘂神社(北海道)

忠魂碑は、陸軍少佐富塚貞一郎之書とあり1921年(大正10年6月)建立。
その隣に台座を同じにして、平和記念碑があり留辺蘂出身の戦没者は三百三十八柱あり、その人達の尊い礎の上に今日の日本があることを忘れてはならないと刻まれている。

留辺蘂神社(北海道)

慰霊碑には、温根湯森林鉄道での衝突事故により殉職された36名の人々の慰霊碑として1940年(昭和15年)建立とある。
その後、留辺蘂営林署と留辺蘂林産組合によって、昭和30年と平成14年7月に移転とある。
平成13年に留辺蘂営林署は閉庁され、その後は行事はおこなわれていない。

留辺蘂神社(北海道)

御大典記念碑は、1928年(昭和3年)昭和天皇即位の大礼を記念して建てられた。

留辺蘂神社(北海道)

御神木ではないようですが、北見市の保存樹木として、シダレヤナギが平成21年4月1日指定を受けています。

留辺蘂神社(北海道)

謝恩の植樹碑は、北海道厚経木開発60周年に当たって、樹霊に対して感謝の意を表すために、全国経木折箱連合植樹会、北海道厚経木協同組合、全国厚経木問屋組合、全国折箱連合会によって1966年(昭和41年)に建立とあります。

留辺蘂神社(北海道)

明治天皇碑は、明治天皇崩御に対して哀悼の遥拝碑として大正元年に建立され、昭和11年9月再建とあります。

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歴史

【留辺蘂神社】
明治45年7月30日明治天皇崩御在らせられた際、市街地有志の斉藤喜一郎外7名が謀り現在明治天皇の碑の箇所に遥拝所を設け、市街住民一同御遺徳を仰ぎ奉り遥かに哀悼の微意を表わしてきた。爾来此の地を記念し小祠を建て天照皇大神の神霊を奉斎し、年次例祭を執行した。大正15年留辺蘂神社として創立の許可を受ける。昭和2年に村社に列せられ昭和21年宗教法人となる。

【聖徳太子神社】留辺蘂神社の境内社
現存している昭和五十七年の聖徳太子神徳讃仰之碑より、明治40年~同43年(西暦1907年〜同1910年)頃に留辺蘂町で太子講が設立され、聖徳太子を祀る標柱(神社の前身)を建立し、聖徳太子の神徳を仰ぎ毎年例祭を斎行して来たことがわかる。
かつて存在した太子講という組織は実質すでに無く、当時を語り継ぐ者は居ない。
現存する聖徳太子神社の社殿が具体的にいつ創建されたかは不明であるが、御幣に「昭和5年6月15日奉納」と記されているため約94年程前には社殿が存在していたと推測される。(令和6年現在)
それ以前の太子講設立から20年余りという空白の期間は、社殿がどのような形状をしていたのか不明である。

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名称留辺蘂神社
読み方るべしべじんじゃ
参拝時間

参拝/24時間
授与所受付時間/午前9時~午後5時

トイレなし
御朱印あり

現在5種類の御朱印があり、全て別紙でのお渡しとなります。
御朱印帳をお持ちでなくても受けられますので、御参拝の折には是非。
①留辺蘂神社【通常版御朱印】
②留辺蘂神社【月参り御朱印】
③留辺蘂神社【四季参り御朱印】
④聖徳太子神社の御朱印
⑤温根湯神社の御朱印

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きなし

御朱印帳なし
電話番号0157-42-2253
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詳細情報

ご祭神天照皇大神、大山津見大神、布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯御魂大神
創建時代明治45年
本殿神明造
ご由緒

【留辺蘂神社】
明治45年7月30日明治天皇崩御在らせられた際、市街地有志の斉藤喜一郎外7名が謀り現在明治天皇の碑の箇所に遥拝所を設け、市街住民一同御遺徳を仰ぎ奉り遥かに哀悼の微意を表わしてきた。爾来此の地を記念し小祠を建て天照皇大神の神霊を奉斎し、年次例祭を執行した。大正15年留辺蘂神社として創立の許可を受ける。昭和2年に村社に列せられ昭和21年宗教法人となる。

【聖徳太子神社】留辺蘂神社の境内社
現存している昭和五十七年の聖徳太子神徳讃仰之碑より、明治40年~同43年(西暦1907年〜同1910年)頃に留辺蘂町で太子講が設立され、聖徳太子を祀る標柱(神社の前身)を建立し、聖徳太子の神徳を仰ぎ毎年例祭を斎行して来たことがわかる。
かつて存在した太子講という組織は実質すでに無く、当時を語り継ぐ者は居ない。
現存する聖徳太子神社の社殿が具体的にいつ創建されたかは不明であるが、御幣に「昭和5年6月15日奉納」と記されているため約94年程前には社殿が存在していたと推測される。(令和6年現在)
それ以前の太子講設立から20年余りという空白の期間は、社殿がどのような形状をしていたのか不明である。

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