くまのはやたまたいしゃ
熊野速玉大社のお参りの記録一覧(5ページ目)
熊野三山の一つ。
創建は不明だが、神代の頃、神倉山のゴトビキ岩に熊野三所大神が降臨され、第12代景行天皇の御代に現在の社地に新宮を造営してお遷りになったと伝わる。
【紀伊山地の霊場と参詣道 世界遺産登録記念の御朱印帳】にご朱印を頂きました。境外摂社の神倉神社のご朱印もこちらで頂けます。
大禮殿・神門
拝殿
参集殿
結婚式の最中でした
新宮神社
恵比寿神社
神宝館
武蔵坊弁慶像
手力男神社・八咫烏神社
過去(2016年<平成28年>)参拝分です。
先の多賀大社の参拝を終えてから、青春18きっぷの残りを消化する関係で新宮へ行き、そこで1泊したあと朝から熊野速玉大社へお参りに行きました。
熊野三山と言われる三か所のお社の中で唯一今迄に参拝したことのなかった神社でしたので、どうしてもお参りしておきたかったという気持ちがありました。
天気も良く気持ちのいい参拝になりました。
拝殿の写真はありませんが、境内社の写真などを撮っています。
ご神木の梛の木は、約1000年ほど前に平重盛公によるお手植えとされるもので、立派に聳えています。
神門手前にある境内社 【()内はご祭神で<>内はご神徳】
手力男神社(天之手力男命)<武道・健康・開運>
八咫烏神社(建角見命)<交通安全・招福>
熊野御幸というのは907年(延喜7年)から1303年(嘉元元年)までの396年間に及ぶ期間に上皇、女院、親王の合わせて23名の皇室の方々が総計141度の参詣を達成したことの総称です。
宇多上皇が初めに参詣を済ませました。
一度限りの参詣でしたが、以下に次の方々が参詣に訪れています。
【上皇】(8名)
花山法皇(一度)、白河上皇(十二度)、鳥羽上皇(二十三度)、崇徳上皇(一度)、後白河上皇(三十三度)、
後鳥羽上皇(二十九度)、後嵯峨上皇(二度)、亀山上皇(一度)
【女院】(12名)
待賢門院(九度)、美福門院(四度)、健春門院(三度)、八條院(三度)、七條院(四度)、
殷富門院(一度)、修明門院(六度)、承明門院(一度)、陰明門院(一度)、大宮院(一度)、
東二條院(一度)、玄輝門院(一度)
【親王】(2名)
道法法親王(二度)、道助法親王(一度)
皇室の方々のこうした熊野御幸による影響は一般庶民にも熊野信仰という形で流布されたものとみられています。
「蟻の熊野詣で」という言葉も生まれました。
御朱印を頂いてきました。
長い時間がかかりましたが、熊野三山の三社をやっとすべて参拝することができて満足しています。
熊野速玉大社入口付近
神社名標
鳥居
熊野権現の扁額が掲げられています
境内社
鳥居内左手が手力男神社、右手が八咫烏神社、ともに境内末社です。
ご神木の梛(なぎ)
樹齢1000年と言われています
手水舎
わかりにくいですが右側後ろに暗く見えているのが熊野稲荷社(境内末社)です
神門
未来へ繋ぐ 日本の祈り の文字が掲げられています
新宮神社(境内末社)
もとは金刀比羅神社だったのを新宮町内にある十三社を合祀して出来上がった神社です
熊野恵比寿神社(境内末社)
世界遺産を記念する石製モニュメント
紀伊の地の霊場と参詣道 熊野速玉大社 の文字が映えます
熊野御幸の参加人物の名前とその回数が記された証
御朱印帳です
現在は新しい御朱印帳が頒布されています
熊野速玉大社の御朱印です
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