しんがんじ|浄土宗|八幡山
森巌寺のお参りの記録一覧
24.05.18。先の北沢庚申堂より徒歩7分。世田谷区代沢2丁目の閑静な住宅街にある浄土宗の寺院。
本日は下北沢でランチ会があり、その後に半年振りに再訪。前回はイチョウの黄葉に見惚れて、不動堂・閻魔堂を拝観し損ねたので参拝。縁起等は前回投稿に掲載してますので割愛致します。
山門
参道
新緑も良きかなです。
針塚
毎年12月8日に淡島堂で針供養が行われる。
淡島堂
堂前にある石棺
針供養後の針がこちらに納められる。
手水鉢
こちらは銭洗いができます。
奥にザルと柄杓があります。
弁天堂
弁財天
不動堂・閻魔堂
参道
客殿
本堂
本堂前より振り返り
本日も閻魔詣。
慶長13年(1608年)創建の浄土宗寺院で境内に淡島明神を祀る。境内に灸院があり「淡島の名灸」「淡島の針供養」として関東一円に知れ渡っていたそうです。
山門
閻魔堂・不動堂
閻魔大王坐像と不動明王坐像
弁天堂
弁財天
淡島堂
針塚
本堂
ご本尊は浄土宗の王道である立像の阿弥陀三尊
本堂前の梅が咲き始めています。
境内マップ
由緒書き
23.12.04。小田急線「下北沢駅」東口より徒歩10分、世田谷区代沢3丁目の住宅街にある浄土宗の寺院。
《せたがや百景》
山号 八幡山
院号 浄光院
創建 慶長13年(1608年)
開基 結城中納言秀康公
開山 清譽存廓上人
本尊 阿弥陀如来像
【縁起】〜当寺の案内書より〜
開山の代より境内に淡島明神を祀って諸人の信仰を集め、また、『淡島の名灸』としても関東一円に知れるところから北沢という地名があるにもかかわらず当寺を中心とする一帯は俗に『淡島』と呼ばれています。
開基の秀康公は、東照神君徳川家康公の二男として生まれましたが、器量すぐれ太閤豊臣秀吉の養子となりました。自らの複雑な立場を意識して、清譽存廓上人に自分の位牌を納める一寺の建立を遺嘱して世を去りました。上人は適当の場所を求めて、武州北沢の地に至り、ここに秀康公一周忌を卜して一山を開き、森厳寺と名づけました。
本日は下北沢駅付近にて友人との会合があり、約束時間前に参詣。樹齢400年越えのイチョウの黄葉が素晴らしかったです。
庭師の方とお話ししましたが、ここ迄の眺めは都内の寺院では珍しいとのことです。また、落葉後の葉は4tトラック1台分との話でした。
山門手前
山門
参道
針塚・石棺
毎年12月8日には針供養が行われます。
淡島堂
天保7年(1836年)建立。
狛犬
↓
弁財天
↓
本堂方向
イチョウの黄葉に感動🥺
不動堂・閻魔堂前からのショットですが、そのお堂はイチョウに見とれて、撮り漏れました💦
参道右手
参道左手
見える建物は併設の「淡島幼稚園」です。
参道
本堂
昭和39年(1964年)建立。
門扉
徳川の三つ葉葵紋
本堂前より振り返り
車の出入り口
御朱印と一緒に頂戴しました。
北澤八幡神社のほど近く、森巌寺へ
雨の中、しっとりと落ち着いた雰囲気のお寺でした
御朱印代のお納めはキャッシュレス決済でもできるようです
進んでますね!と申し上げたら、そうなのですが私はよくわからないのです、とのこと
お渡しするばかりに握りしめていたお金をお納めしました😊
木の山門、「粟嶋の灸 八幡山 森巌寺」とあります
門の向こうには大きな樹が多くあり、とても厳かな雰囲気
不動堂・閻魔堂
正面には閻魔さま
右手には不動明王さまがいらっしゃいます
針塚
毎年2月に針供養が催されるそうです
淡島堂
医療と医薬の少彦名神が祀られているとのことで、寺門の「粟嶋の灸」の由来となっています
淡島堂の軒の下に愛らしい絵が描かれています
淡島堂の前、雨水をいっぱいに湛えた鎖樋と桶
弁財天さま
本堂へ向かいます
こんもり満開
本堂、扁額は「森巌寺」
金色にかがやく阿弥陀如来さまがいらっしゃいます
本堂入り口の門には三つ葉葵の御紋
家康公の次男、秀康公が開基でいらっしゃるご縁ですね
針供養で有名な森厳寺。100年超えの巨大なイチョウが何本もあります。世田谷の銘木100選にも選ばれた大きなイチョウは幹の周りが5メーターはありそうな巨木です。根元から太い幹が何本も分かれていて高さよりもボリュームがすごいです。
世田谷の銘木100選にも選ばれた大きなイチョウは幹の周りが5メーターはありそうな巨木
針供養で有名な森厳寺の案内図
森巖寺は、「りんがんじ」と読むのではなく「しんがんじ」と読みます。
1608年(慶長13年)に、結城秀康の位牌所として建立されました。
秀康は家康の次男ですが、豊臣秀吉との和解のために豊臣家へと養子に出されます。
その後豊臣秀頼が生まれたことにより、豊臣家から北関東の名家結城家に再度養子に出されます。
関ケ原の合戦時には、関東に残り上杉景勝と対峙し上杉氏の南進を阻止しました。
その武功により越前藩主となり、結城姓から松平姓へ戻すことが許されました。
改名した秀康は、越前松平家宗家初代となります。
慶長12年(1607年)には病状が悪化し死期を悟った秀康は、一乗院住職万世和尚に自分の死後に江戸の地に一寺を建立を託し、そこに自らの位牌所の建立を命じました。
その位牌所が、この森巖寺です。
万世和尚の高弟清譽存廓上人が、慶長13年(1608年)に当地で開山しました。
こちらのお寺の正式名称は、八幡山浄光院森巖寺と言います。
こちらの森巖寺は、浄土宗のお寺さんですので本尊は阿弥陀如来になります。
境内には、不動・閻魔堂に閻魔様と不動明王、弁天堂には弁才天が祀られています。
こちらのお寺の特筆すべきが、淡島堂です。
初代住職清譽存廓上人は紀州の出身で、持病の腰痛に悩まされていました。ある夜、故郷の淡島様が夢枕に立ち、灸治の零示を受けました。
早速、自分の足へ施灸すると、永年の腰痛が嘘のように全快したそうです。そのため、紀州加太の本社に願い出て境内に淡島様を勧請しました。
淡島様は女性にとってはとてもありがたい神様で、婦人病治癒を始めとして安産・子授け、裁縫の上達、人形供養などに霊験のある神様です。
東京・世田谷の森巌寺にお参りしました。浄土宗の寺院です。住宅街の中にあります。
寺務所でいただいた「八幡山 浄光院 森巌寺紀略」によると、開基は徳川家康の二男だった結城秀康。豊臣秀吉の養子になるなど、自らの複雑な立場を意識して、自分の位牌を納めるため一寺を建立するよう清譽存廓上人に言い残して世を去りました。上人は適当な場所を求めて武州北沢の地に至り、秀康の一周忌に一山を開き、森巌寺と名付けたとのことです。秀康の法名は「浄光院殿森巌道慰運正大居士」です。
境内にある淡島明神社は、紀州の生まれの清譽存廓上人が紀州加太の淡島神社から分社。夢に現れた淡島さまのお告げ通りにお灸をすえると、持病の腰の痛みが全快したとのことです。古くから淡島明神社は「淡島の灸」と「淡島の針供養」で知られるそうです。
ほかにも弁財天や閻魔像など、見るものが多いお寺でした。秋にはイチョウの黄葉が見事だろうと思います。
本堂
淡島堂
弁財天
お金を洗います
閻魔堂
本堂から境内を見たところ。右手に併設の幼稚園
北澤八幡神社のすぐ近くにあり、せたがや百景のひとつである、開山から四百年のお寺です。
徳川家康の次男結城秀康公の位牌所として建立されたそう。
夕方だったので参拝を自粛しようか迷ったのですが、門に惹かれお参りしてしまいました。
境内で幼稚園を運営しているようでした。
園児や保護者が通りかかるたびに立ち止まり、仏様に手をあわせていたのが印象的でした。
御朱印の対応時間をお伺いしたところ、18時近くまでは可能であればご対応いただけるとのことで、快く書いてくださいました。
ありがたいことです。
弁天様もお参りしたいのでやはり次は早い時間にお参りしたいと思います。
門
狛犬がいます
淡島堂
淡島様は、江戸時代に女性や子供に関するありとあらゆるご利益を授けた守り神
弁天堂
残念ながら閉まっていました
清浄
こちらでお金を清められます
不動堂・閻魔(えんま)堂
毎週日曜の12〜14時に不動護摩の祈祷が行われるようです
針塚・石棺
古針・折針を豆腐に刺して供養し、供養された 針は豆腐より抜き取られ、淡島堂正面にある石棺に納められるそうです
本堂
阿弥陀如来立像を本尊仏とする黄金の弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)と秀康公の位牌が安置されているそうです
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