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ぞうじょうじ|浄土宗 三縁山

増上寺のお参りの記録一覧(4ページ目)
東京都 芝公園駅

くま
2023年05月13日(土)
688投稿

高知~羽田空港に着いてから、増上寺におまいりに行きました。

増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)

お寺用の御朱印帳が残り少なくなったので、かっこいい増上寺の御朱印帳をいただいてきました

増上寺の御朱印

御朱印帳の最初のページに書かれていた御朱印です。

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クジラ
2023年03月07日(火)
93投稿

家康の遺言で葬儀を行った場所。
久能山、日光、大樹寺、そして増上寺。遺言コンプリート達成。

如何にも東照宮な門。その壮麗さに圧倒されるが、そこは台徳院霊廟惣門と言う代物。増上寺手前。

隣の門は渋めだが威厳がある。が、これは黒門と言う脇の門。

その隣の馬鹿デカい門が入り口。三解脱門。
全体を見るには、一度信号を渡る必要がある。
脇の建物からハシゴが掛かっている。大樹寺もそうだった。
この門を眺めているだけで楽しい。

中には石碑やら墓やらが満載。
隅々まで散策した者しか発見出来ない宝の山。

熊野神社や千体地蔵もあれば、聖鋏観音や四菩薩像などもある。

大殿は本殿に当たるが、名の通りデカい。中に入って良いのかダメなのか曖昧。

地下が宝物殿だが、火曜定休日。
悔しいので、翌日も来た。

無料コーナーは、仏舎利。
有料コーナーは、絵と模型。
量より質。

絵は、500羅漢図。なかなか濃い目のキャラクター。
模型は、台徳院本殿。
仏舎利は、釈迦の遺灰と言う貴重さに加えて、仏壇が芸術。
イチオシは模型。10分の1スケールでかなり大きい上に、細かく再現されている。

隣の安国殿は、家康を祀っている。細かい所まで見事な装飾。
ここに社務所が含まれる。
おみくじ、御守り、御朱印などはこちら。

裏が徳川将軍家墓所。ここも火曜定休日。
2代、6代、7代、9代、12代、14代。古本屋の漫画みたいな揃い方。
皇女和宮と合祀塔も一緒に並んでいる。
秀忠、家宣、和宮の墓が印象に残った。

大納骨堂や茶室など、周りの建造物も見る価値あり。

来るべき素晴らしい寺。

増上寺(東京都)

三解脱門

増上寺(東京都)

大殿

増上寺(東京都)

安国殿

増上寺(東京都)

詠唱発祥の地

増上寺(東京都)

三解脱門近影

増上寺(東京都)

ワイルドな石燈籠

増上寺(東京都)

め組の墓

増上寺の建物その他

日本一大きい鐘

増上寺の建物その他

お〜いお茶

増上寺の仏像

聖鋏観音

増上寺(東京都)

龍 猪目 天女 龍 獅子 ゴージャス灯籠

増上寺(東京都)

徳川将軍家墓所の門だけど入り口は別

増上寺の地蔵

千体地蔵

増上寺の建物その他

額縁にも猪目

増上寺の建物その他

大納骨堂

増上寺の狛犬

シュっとした狛犬

増上寺(東京都)

文殊菩薩
足元に

増上寺(東京都)

普賢菩薩
足元に

増上寺(東京都)

秀忠公

増上寺(東京都)

家宣公

増上寺(東京都)

皇女和宮

増上寺の建物その他

二重猪目

増上寺(東京都)

猪目ゾーン

増上寺(東京都)

赤が映える

増上寺(東京都)

徳川将軍家墓所

増上寺の建物その他

宝物展示室

増上寺(東京都)

仏舎利

増上寺(東京都)

三解脱門裏側

増上寺の山門

台徳院霊廟惣門

増上寺(東京都)

裏からコッソリ象

増上寺(東京都)

ビッグフット

増上寺(東京都)

金シャチ

増上寺(東京都)

鬼瓦周辺

増上寺(東京都)

徳川将軍家墓所はこちら

増上寺(東京都)

鬼瓦列車

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soo_cyan
2023年05月31日(水)
1729投稿

浄土宗大本山にして徳川家菩提寺🤗京浜四本山のひとつでもありますね。さすがに人は多かったですが今年後半は大河ドラマの影響でさらに増えるのかしら?

増上寺(東京都)

大門

増上寺(東京都)

三解脱門

増上寺(東京都)

観音菩薩立像

増上寺(東京都)

水盤舎

増上寺(東京都)

鐘楼堂

増上寺(東京都)

聖鋏観音

増上寺(東京都)

大殿前参道

増上寺の建物その他

増上寺会館と光摂殿

増上寺(東京都)

大殿

増上寺(東京都)

扁額

増上寺の像

勢至丸様

増上寺(東京都)

光摂殿

増上寺(東京都)

安國殿

増上寺(東京都)

西向聖観世音菩薩

増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)

安国殿と黒本尊由緒

増上寺(東京都)

景光殿表門

増上寺(東京都)

表門由緒

増上寺(東京都)

圓光大師堂

増上寺(東京都)

圓光大師堂由緒

増上寺(東京都)

観音菩薩立像

増上寺の建物その他

貞恭庵

増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺の建物その他

経蔵

増上寺(東京都)

慈雲閣

増上寺(東京都)

黒門

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ぷかぞう
2023年02月13日(月)
496投稿

東京都港区④

前回は80年振りの大改装中で、本堂の外見は見られませんでした。今回は本堂の中を改装中のようで、本堂に入れませんでした。いつ完成するんだろう??

増上寺(東京都)

徳川家!

増上寺(東京都)

境内もご本堂も大きいです。後ろに東京タワー。

増上寺(東京都)

本堂工事中…

増上寺(東京都)

閉まってます。。

増上寺(東京都)
増上寺(東京都)

ホテルニュージャパン火災犠牲者慰霊 聖観世音菩薩です。
4

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yytak007
2023年01月23日(月)
9投稿

たくさんの人がやって来る前に....
これまで、行けていなかった増上寺を訪ねました。
東京タワーが近くて、びっくり (O_O)

増上寺の本殿

門をくぐると、開けました。
青空くっきり*\(^o^)/*

増上寺(東京都)

お休み処がありました。
今回は、お腹いっぱいだったので、横目で見つつ、素通り....
....残念.... . (T_T)

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malice
2023年01月24日(火)
477投稿

限定御朱印がいただけるようだったので、宝珠院様から芝東照宮様でお参りをして増上寺様へやって来ました😊閉所時間が近かったので、さっとお詣りをすませ御朱印を拝受してから、あらためてゆっくりお詣りしました😄 本日はここまで5社5寺お詣りさせていただきました。

増上寺の山門

☆三解脱門(三門)☆
増上寺の表の顔として、東京都内有数の古い建造物であり東日本最大級を誇るこの門は、当山の中門にあたり(表門は大門)、正式名称を三解脱門といいます。煩悩から解脱した覚りを開くための三種の修行「空門」「無相門」「無願門」の三門を三解脱門といい、またこれを通称「三門」ともいいます。慶長16年(1611年)徳川幕府の助成により、幕府大工頭•中井正清とその配下により建立。元和7年(1621年)強風により倒壊するも、元和8年(1622年)に再建。増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。 三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことです。建築様式は三戸二階二重門、入母屋造、朱漆塗。唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味され、美しさを見せています。二階内部(非公開)には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。この門をくぐると、念仏を称えて阿弥陀様と親しく近しい縁を結び、「むさぼり、いかり、おろかさ」といった煩悩から解脱した安らぎの世界「極楽浄土」への往生を願う空間が広がっています。

増上寺の仏像

☆聖観世音菩薩☆

増上寺の手水

☆水盤舎☆
この水盤舎は、もと清揚院殿(家光公三男•綱重)の御霊屋にあったものです。徳川家霊廟建造物として現存する数少ない遺構のひとつです。昭和53年3月、現在地に移築されました。

増上寺の建物その他

☆鐘楼堂☆
寛永10年(1633年)の建立ですが、現在の鐘楼堂ほ戦後に再建されたものです。鐘楼堂に収められている大梵鐘は、延宝元(1673年)にあまりの大きさに7回の鋳造を経て完成し(東日本で最大級)、江戸三大名鐘の一つに数えられています。 朝と夕べ、2回撞く鐘の音は、時を告げるだけではなく、人を惑わす108の煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと導く6度の誘いでもあります。 江戸時代の川柳には「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」「西国の果てまで響く芝の鐘」等と謳われ、庶民に親しまれました。

増上寺の建物その他

こちらは前に行ったときに鐘つきの時間になりました😊

増上寺の本殿

☆大殿☆

昭和49年(1974年)、大本山の念仏の根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるよう斬新な設計と意匠で、戦災に遭い焼失した本堂が再建されました。首都圏では最大級の御堂で、石段を登りつめた二階に本堂、三階に道場、一階に檀信徒控室、地下に増上寺宝物展示室があります。
本堂のご本尊阿弥陀如来(室町期製作)は、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られ、参拝される方々の厚い信仰をあつめています。

増上寺の建物その他

☆安國殿☆

戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂としていた建物を、昭和49年(1974)年、新大殿完成の折りに境内北側に移転し、御堂「安国殿」としました。老朽化のため、平成23年(2011年)法然上人八百年御忌を記念し、念仏信仰の拠点として徳川家康公が成し遂げた"天下泰平の世(安らかな国づくり)"を願い、新しい安国殿が建立されました。 本堂中央に本尊である、恵心僧都の作と伝えられる秘仏「黒本尊」(御開帳•黒本尊祈願会、正月•5月•9月の15日)は、家康公が深く尊崇し、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像で、勝運•厄除けの仏様として江戸時代以来、広く人々の尊崇をあつめています。 また、御前立の阿弥陀如来立像、脇陣には家康公肖像画、徳川家御歴代並びに御一門の尊霊の御位牌、皇女和宮さまの等身大の御像等が祀られており、安国殿は当山の祈願所として親しまれています。

増上寺の建物その他
増上寺の建物その他

☆西向聖観世音菩薩☆

鎌倉時代、執権•北条時頼公が観音山(現:東京タワー)に辻堂を建て、鎌倉街道(現:六本木方面)に向けて安置した石像の観音さまです。子育て•安産に霊験あらたかと伝えれています。昭和50年(1975年)浄土宗開宗八百年記念の境内整備事業として、現在の安国殿前に尊像を遷座、同55年(1980年)1月に観音堂落成。江戸三十三観音札所で聖観音像は子育て開運の利益広大と言われています。

増上寺の建物その他
増上寺の建物その他

☆鋳抜門(徳川将軍家墓所)☆

鋳抜門は旧国宝で、もと文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』であったものです。左右の扉に5個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍•下り龍が鋳抜かれています(青銅製)。規模は勿論のこと、その荘厳さにおいても、日光東照宮と並び評された往時の姿を今に伝える数少ない遺構です。

増上寺の建物その他
増上寺の仏像

☆四菩薩像☆

増上寺の建物その他
増上寺のお墓

☆大納骨堂☆

増上寺の仏像

☆清浄観世音菩薩☆

増上寺の御朱印

限定御朱印 『安國院殿』

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かおり
2023年01月17日(火)
905投稿

今回は、当日向かう電車の中で、五木寛之先生の百寺巡礼「増上寺」の項を読んでいたので、予備知識はバッチリであった。

五木寛之先生は、増上寺についての歴史を87世法主の寺内大吉先生(直木賞作家でもある)に直接お伺いして執筆された。

三縁山広度院増上寺が正式な名称だ。三縁山の山号は、「親縁・近縁・増上縁を明かす」という唐の僧、善導の教えに基づいているという。善導は、浄土宗を大成した人物として知られ、その教えは日本における浄土宗の開祖・法然に大きな影響を与えた。もちろん、増上寺は浄土宗のお寺である。

江戸時代、この門は一般の参詣者に開放されていて、人々はここに登って東海道を見下ろし、更には品川沖やお台場までも眺めて楽しんだという。あの黒船来航の時も、初めて目にする巨大な船をここから観察していたらしい。

酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建された。聖聰は、地元の有力者の支援を受けて、関東に念仏を広めていったのである。
こうして関東一円の民衆の間に、浄土宗は浸透していった。そして、その中心に増上寺はあった。そうすると、家康が江戸に入ると同時に増上寺を菩提寺としたのは、念仏を信じる人びとの共感を得る為であったと考えられそうだ。
これから江戸を本拠地にして関東を支配しようとしていた家康は、増上寺の影響力をおおいに活用できるはずだ、と踏んだのではあるまいか。
家康の江戸城入りが、民衆にすぐに受けいらられたとは言い難い。それどころか、新しく支配者になった徳川家康に対する反感が募っていた節もあったらしい。
だから、家康は最初に江戸に入った時、荒れ果てた江戸城の改修よりも、まず町づくりに力を入れたとされる。しかも、その町づくりは反徳川色の強い江戸の内部には手をつけず、海面を埋め立て、新しい町を作り出すことでなされた。
現在の霞が関、丸の内、新橋、日本橋などの原型は、この時に作られたという。つまり、まず家康は、江戸城に出入りする武士と、その生活を支える最小限の商工業者が住む町を、土地を埋め立てることで一から作りだしたのだ。
更に、家康は町民感情をなだめるために、古い寺社を保存した。また、そればかりでなく、増上寺のみならず、当時の多くの寺は、庶民の日常生活と密接に結びついていたからだ。
家康は、庶民の信仰を統一しようとしたり、コントロールしようとはしなかった。キリスト教徒こそ厳しく弾圧したが、その他の信仰については誰がどんな宗教を信じようと自由であるとした。いわば、多神教、多仏教的な方針が守られたのである。

法然が熱烈に説いたのは「念仏」として、その目に見えない大きな生命力を実感する事、この世の闇を照らす光に触れることだったのではないか。(五木寛之先生の考え)

京都から新しい都、東京に移った明治天皇は、真っ先に増上寺を勅願時とした。
徳川家の菩提寺だった寺だというのに不思議な気がするが、ひょっとすると明治天皇も、江戸に入った時の徳川家康と同じように、人心掌握の為に増上寺を味方につけたかったのかもしれない。
けれども、その増上寺でも明治の神仏分離令の動きから逃れることは出来なかったようだ。廃仏毀釈の結果、僧侶たちが神主のような袴をはくようになった。それまで僧侶は墨染の衣をまとうものとされていたが、明治以降は白い着物を強いられたのである。
浄土への往生を約束し、民衆の信仰を集め続けた寺も、時代の波に大きく翻弄されたのだ。

ここまでは、五木寛之先生の素晴らしい文章を引用させていただいた。

とにかく、素晴らしいお寺であった。

増上寺の御朱印
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺の建物その他
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺の仏像
増上寺(東京都)
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増上寺(東京都)
増上寺の地蔵
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
増上寺(東京都)
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増上寺(東京都)
増上寺の山門
増上寺の山門
増上寺(東京都)
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増上寺(東京都)
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