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成田山川越別院ではいただけません
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真言宗智山派

成田山川越別院
埼玉県 本川越駅

御朱印について
御朱印
あり

力強く書かれた『不動明王』の文字が印象的な御朱印です。通常御朱印のほかに、関東三十六不動霊場27番の御朱印や、小江戸川越七福神の御朱印がいただけます。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

歴史

成田山川越別院は、成田山川越別院本行院(ほんぎょういん)と称し、いつの頃からか「久保町のお不動様」とも呼ばれるようになった。
本尊は不動明王で、内外の諸難や汚れを焼き払い、人々を守るといわれ、願をかける時などに奉納する絵馬のため、境内には絵馬堂も建立されている。
当寺は、江戸時代も末の嘉永(かえい)六年(1853年)、ペリーが黒船を率いて浦賀に来航した年に、下総の国新宿(にいじゅく)(現葛飾区)の石川照温が、廃寺となっていた本行院を成田山新勝寺別院として再興したのが始まりといわれている。石川照温については、次のような話が伝えられている。
農家に生まれた石川照温は、三十歳の頃に目が見えなくなってしまった。光明を失くした照温は、ある日のこと自ら命を絶とうとしたが、その時不思議なことに光を失った眼前に不動明王が見えたので、にわかに仏道に目覚めそれまでの生活を改めるとともに、有名な成田山新勝寺のお不動様を熱心に信仰するようになった。
そのかいあってか、失明した目もいつか昔のように見えるようになったので、いよいよ仏道に励み、当地に寺を建立し、多勢の信者から慕われるようになったとのことである。
なお、照温の碑が、近くの中院墓地に建てられている。
川越市「成田山川越別院」解説より

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名称成田山川越別院
御朱印あり

力強く書かれた『不動明王』の文字が印象的な御朱印です。通常御朱印のほかに、関東三十六不動霊場27番の御朱印や、小江戸川越七福神の御朱印がいただけます。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号049-222-0173
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.kawagoe-naritasan.net/en.htm
お守りあり
絵馬あり
SNS

巡礼の詳細情報

小江戸川越七福神

第4番

御本尊:恵比寿天

関東三十六不動尊霊場

詳細情報

ご本尊不動明王
宗旨・宗派真言宗智山派
ご由緒

成田山川越別院は、成田山川越別院本行院(ほんぎょういん)と称し、いつの頃からか「久保町のお不動様」とも呼ばれるようになった。
本尊は不動明王で、内外の諸難や汚れを焼き払い、人々を守るといわれ、願をかける時などに奉納する絵馬のため、境内には絵馬堂も建立されている。
当寺は、江戸時代も末の嘉永(かえい)六年(1853年)、ペリーが黒船を率いて浦賀に来航した年に、下総の国新宿(にいじゅく)(現葛飾区)の石川照温が、廃寺となっていた本行院を成田山新勝寺別院として再興したのが始まりといわれている。石川照温については、次のような話が伝えられている。
農家に生まれた石川照温は、三十歳の頃に目が見えなくなってしまった。光明を失くした照温は、ある日のこと自ら命を絶とうとしたが、その時不思議なことに光を失った眼前に不動明王が見えたので、にわかに仏道に目覚めそれまでの生活を改めるとともに、有名な成田山新勝寺のお不動様を熱心に信仰するようになった。
そのかいあってか、失明した目もいつか昔のように見えるようになったので、いよいよ仏道に励み、当地に寺を建立し、多勢の信者から慕われるようになったとのことである。
なお、照温の碑が、近くの中院墓地に建てられている。
川越市「成田山川越別院」解説より

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