しきちじんじゃ(わらてんじんぐう)
敷地神社(わら天神宮)のお参りの記録一覧(2ページ目)
天神宮では、古来より麦わらで編んだ籠に神饌を入れて神様に捧げていました。 やがて籠から抜け落ちた”わら”を、妊婦さんが安産を願って持ち帰るようになりました。 そのため、後に”わら”を切り取り、安産の御守りとして妊婦さんに授与するようになったのです。
安産祈願
わら天神さんにお参りに上がるのは
これで6回目。
我が子3人祈願
こちらで祈願し、どの子も無事に誕生してくれた。
更に、お守りの中に入っている藁の節は
見事3人とも当たってた👏
娘の第一子の祈願←藁の節があったが、女児爆誕❣️
予定日の1週間前に母体に違和感を感じ、
即入院からの帝王切開。病院に電話してから孫誕生まで1時間半💦 ハプニングはあったものの、母子共に無事で感謝しております。
息子家族に2人目のベビー👶の祈願
1人目、2人目ともに藁に節あり。
5月に誕生予定。どうか母子共に健康でありますように。。
節があれば男の子
節がなければ女の子が産まれると言われている
主祭神
木花開耶姫命(このはなのさくやびめ)
配祀神
天日鷲命(あめのひわしのかみ)
栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)
由緒
創建年は不明。
背国葛野郡衣笠村(京都市北区)に「北山の神」という山の神様が祀られていました。古来より祀られている神をまとめて天神地祇(天つ神と国つ神の意味)といいます。
平安時代
天長5年(828年)。大雨や地震が続いたので淳和天皇が北山の神に幣帛を捧げました(類聚国史)。
天長8年(831年)。北山の地(現在の京都市北区衣笠氷室町)に氷室(氷を保管する場所)が作られました。加賀国から移住した人たちが氷室の管理人になりました。
加賀の人たちは自分たちが信仰していた菅生石部神社(すごういそべじんじゃ、現在の石川県加賀市にある神社)から神様を勧請して、北山の神の隣に祀りました。そして菅生石部神の母神の木花開耶姫命を主祭神としました。
室町時代
応永4年(1397年)。足利義満が北山殿(金閣寺)を造ると、参拝に不便になったので両社を合せて現在の地に移されました。
菅生石部神社の通称だった敷地神社と正式名にしました。
でも人々からは「天神宮」と呼ばれていました。
その後は応仁の乱など戦乱で荒れ果てましたが仮社殿を建てて生き残りました。
京都の安産祈願「わら天神宮」
西大路通沿い。
駐車場は神社の南側にあり、そのまま境内に入れないのでややわかりにくい。
西大路通沿いに大鳥居。
鳥居をくぐり参道に沿って右に曲がり緩やかな階段を登って境内へ。
神楽殿、奥に本殿、神楽殿右手に授与所。
本殿の左手に「綾杉明神」右手に「六勝神社」
本殿と綾杉明神と六勝神社はちょっとだけ階段あがる。
まあまあ広さがある綺麗な神社。
藁のお守りがあることで有名な安産祈願の神社です。
安産とは無縁なんだが、ちょうどこの辺りに居たので「駐車場タダで確実に車停めれる神社かお寺どこったかな〜」と頭捻って思い出したのが敷地神社だった、それだけで。
久しぶりの参拝。ちょうど安産祈願でお参りされてる人がいた。
鳥居
本殿
綾杉大明神
六勝神社。こっちの御朱印もある
境内
わら天神(敷地神社)
京都市北区
安産のご利益で有名。
稲藁が安産御守の本体であり、そのわらに節があれば男児・節がなければ女児誕生との古くよりのめずらしい信仰が人々の人気を集めている。
鳥居 狛犬がとても大きく立派
わら天神と六勝神社の御朱印
共に300円
わら天神
摂社の六勝稲荷神社は試験合格の神として信仰を集める。
綾杉明神は樹齢数千年とも言われるが明治の台風にて倒壊する
安産や子育てにご利益がある神社。
立命館大学の近くにあります。
本殿の賽銭箱のすぐ奥に涎掛けの絵馬が沢山かかっているのがすごく印象的でした!
ご利益ありそう^_^
平仮名が入る珍しい御朱印
正面の大鳥居
わら天神社の本殿
賽銭箱のすぐそばに涎掛けの絵馬が!なかなかゆにーく!
京都府のおすすめ2選🎏
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