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道路衢神ではいただけません
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どうろくじん

道路衢神のお参りの記録(5回目)
茨城県鹿島神宮駅

投稿日:2021年10月04日(月)
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鹿嶋市宮中地区にある猿田彦大神にお詣りして来ました。
道路衢神(茨城県)
猿田彦様から放射状に伸びる道。今回は、そのひとつ、神宮の森へ消える道を辿ってみます。
道路衢神の建物その他
早速、警備員居るぞの看板です。
道路衢神の自然
台風直後だった為、道端にギザギザ葉と謎の実が落ちてます。これは、あれ!松ぼっくりじゃなくて、ほら、恐竜がわしわし食べるあれ!
……思い出せません。😵💦
道路衢神(茨城県)
周囲をパノラマで360°撮影するとこんな道です。よいこと女子は絶対に独りで来てはいけません!
道路衢神の建物その他
しばらく進むと、辺りが開け、鳥居のようなものが見えて来ました。
道路衢神(茨城県)
なんと!要石でした!

しかも、鳥居は猿田彦様に通ずる道に向いている!
道路衢神の建物その他
要石だと、必ず地震避けに鯰を頭を……。という話になりますが、あんまりピンと来てません。もともと岩が珍しい土地に頭が丸く加工された岩が埋まってて、中はデカイんだ!と言われても…。

それよりは、御神体の前に拝殿がなく、もっとも原始的な神社の姿を見ることができることがありがたいと思うのですが…。

神宮ではここともうひとつ御手洗の池が、御神体に鳥居という最も原始的な形態を持っています。
道路衢神(茨城県)
要石です。

下津の浜から高天原、潮社、猿田彦へ通ずる道と、御手洗の池から要石に通ずる道、どちらも地形に沿って道なりに進んでいるような印象があります。それに対し、奥宮から本殿、楼門へ続く参道は人工的な印象があります。

むしろ、原始的な鹿島の社は要石周辺で、本殿側はあとから付け加えたものなのかもしれません。鹿島の大神の社もこの辺だったのではないのでしょうか?どうでしょう?SUZUKIさん。
道路衢神の自然
帰り道にも謎針葉樹。萱(かや)か?いや思い出した!樅ノ木だ!クリスマスツリーだ!✨🎄✨

すてき

みんなのコメント11件)

(ノ `・∀・)ノ゙ オオオオォ♪゙
クリスマスツリー🎄✨
思い出せてスッキリですね🤭

一人で( ゚ ρ ゚ )ボーっとしてたら、確かに危ないかも?🤔

2021年10月05日(火)

山の中で(°o°)ボーっとしてたら、危ないですよね。見た目が…。

警備員さんに連れていかれちゃいますね。(*_*)

2021年10月05日(火)

そっち?…🤣

2021年10月05日(火)

(●︎´艸`)´艸`)´艸`) プププ
斜め上の返事でした🤣🤣

2021年10月05日(火)

😅

2021年10月05日(火)

一年以上もご無沙汰ですね。でも私の神社愛が薄れたわけじゃありません。

要石🪨が鹿島の大神説は面白い。私は三角形にこだわって、大宮神社説を唱えてましたが要石も当時の人々にとって何か重要なものだった可能性は否定できません。
鹿島神宮の敷地内で本格的な発掘調査が出来ないので分からないでしょうが、掘れば何か出てくる可能性はありますね。

2022年08月21日(日)

ほんとご無沙汰ですね😅

今の本殿辺りは付け足しで、こっちがホントなのかもしれませんね。

2022年08月23日(火)

道祖神や猿田彦は道の分岐点に多いですね。当時の厨や沼尾・坂戸付近から南下して鹿島の大神に行くときの道標が猿田彦だとすると、要石あたりに大神があったという説もあり得ます。また、海路からだと御手洗の池あたりに船をつけて崖を登ったあたりに奥宮がありその先に要石・・・結構あり得ますねぇ。
秀忠が本殿を建てるときに家康が建てた本殿を奥宮に移し、その時にあった本殿を沼尾神社に移した(現存してない)というのも何か意味ありげ。で、その奥宮は要石の方向を向いている。。。自転車父さん説、案外あたりかも

2022年09月10日(土)

こういうの絶対誰も証明できないので、言ったもん勝ちです。私は、大生神社からきた飯富族が大宮(大神:おおみわ)神社ー沼尾神社ー坂戸神社トライアングルを作るも、何らかの理由で大宮から要石付近に大神を移動した。猿田彦神社はその道標として建てられた。奥宮は本当は鹿島神宮の奥ではなく、鹿島の大神(要石)の奥宮だった。奥宮の老朽化にあたり、秀忠は、家康を差し置いて鹿島の大神の奥宮を建ててはまずいと思い、家康が建てた本殿を奥宮に、自分は鹿島神宮の本殿を建てた。これでいかがですか?自転車父さん  

2022年09月10日(土)

いろいろ考えてるだけでも楽しいですよね!

私は、鹿島神宮の御神体は奥宮に向かう参道の先にあるのではないかと(勝手に)思ってます。

東西南北にある神宮の一の鳥居の中で、やはり、一番重要そうに見えるのは西の鳥居でしょう。
なので、西から入ると、二の鳥居の先に御神体があるはずです。
楼門をくぐり、本殿を横に見つつ進むと、少し右に角度を変え奥宮へ。この参道が富士山から伸びるレイラインと重なるのは有名な話ですが、さらにこの線を延ばすと、その先に高天原の鬼塚があり、下津海岸があり、その先からは太陽が昇ります。御神体はこれかな?

本殿も奥宮も、太陽と富士山を結ぶ線を遮らないように配置されてます。このレイアウトがいつ作られたのかは判らないのですが、参道が主で本殿が添え物みたいに見えます。

これができる以前の原始の姿は、要石の辺りに大神の住まいがあり、御手洗の池で飲み水を得、今の本殿辺りに高房社だけがあった。

…なんて想像してます。藤原氏の台頭で、書き換えられた(作り替えられた)部分をていねいに剥がしていくと、大神の社にたどり着くカギがありそうですね。

2022年09月11日(日)

高房社が奥宮を守る形は納得します。当時は御手洗の池付近まで海が迫っていたと推測されます。船着場であり水場である御手洗池あたりは重要なポイントです。現在の本殿よりも地形的に適した場所ですね。
奥宮方面から筑波山方面を眺めると宮中野の古墳群があります。武甕槌の墓地?ではないかと推測。北浦湖岸沿いの高台には結構神社がありますが、この宮中野付近には一つも神社がない。やはり墓地だから?
謎は深まります。
江戸時代なんかに建てられた祠も、元々何かあった場所に建てたと考えると私たちがマッピングした神社の中にとんでもない重要なポイントがあるかもしれないですね。
そう思って、色々考えています。
また、自転車父さんの仮説、いろいろ聞かせてください。

2022年09月18日(日)
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