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きよしこうじん せいちょうじ|真言三宝宗蓬莱山

清荒神清澄寺の御由緒・歴史
兵庫県 売布神社駅

ご本尊大日如来
創建時代寛平八年(896年)
開山・開基静観(開山)・宇多天皇(開基)
ご由緒

清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。
当時は猪名の平野や武庫の浦が一望に見渡せる旧清と呼ばれる山の尾根に清澄寺を、そして西の谷に鎮守神として三宝荒神社を祀りました。山号である蓬莱山の由来とする現在の長尾山系の七嶺七渓に、七堂七十二坊の荘厳な伽藍を造営し、宇多天皇より日本第一清荒神の称号を与えられ蓬莱山清澄寺としておおよそ300年栄えました。
その後、平安時代末期の源平合戦や、天正年間の荒木村重の乱などの戦火により何度も焼失しましたが、荒神社のみはいずれも難を免れ、やがて清澄寺も西の谷である今の地に再建され、江戸時代末期、一代の名僧浄界和上の諸堂再興により現在の山容が形づくられ伽藍が発祥しました。
浄界和上の諸堂再興に続き、先々代 第37世法主 光浄和上に至り寺運ようやく開け、昭和22年「三宝三福」の教理に基づく真言三宝宗を開き、荒神信仰の総本山清荒神清澄寺として新しく法幢をかかげました。

歴史
歴史[編集] 寛平8年(896年)11月18日に宇多天皇の勅願寺として静観僧正により旧清(もときよし)と呼ばれる山の尾根に建てられた。鎮守神として現在地である西の谷の地に三宝荒神社も建立された。宇多天皇より「日本第一清荒神」の称号を下賜され、最盛期には七堂七十二坊の荘厳な伽藍を誇った。 平安時代末期の治承・寿永の乱や戦国時代の有岡城の戦いに巻き込まれて炎上しているが、三宝荒神社は被害を免れている。 江戸時代の安政年間(1855年 - 1860年)には清澄寺本堂が旧清から現在地に移築され、浄界和上によって清澄寺が再興されて伽藍が整えられた。 1947年(昭和22年)に「三宝三福」の教理に基...Wikipediaで続きを読む
引用元情報清荒神清澄寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B8%85%E8%8D%92%E7%A5%9E%E6%B8%85%E6%BE%84%E5%AF%BA&oldid=98180182

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