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浄土寺ではいただけません
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じょうどじ|真言宗豊山派西林山(さいりんざん)

浄土寺
愛媛県 久米駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

仁王門前 普通20台 バス4台(普通車100円)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第49番
伊予十三仏霊場第2番

浄土寺について

奥之院


本堂左から裏山を5分登ると牛峯地蔵尊とミニ四国八十八箇所があります。

愛媛県のおすすめ🎏

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おすすめの投稿

のぶさん
2020年08月17日(月)
1512投稿

境内入口に正岡子規の句碑「霜月の空也は骨に生きにける」が立つ。浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺である。腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖である。
この空也上人像を本堂の厨子に安置する浄土寺は、縁起によると天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇(在位749〜58)の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩(668〜749)が彫造した釈迦如来像を本尊として祀り、開創された。法相宗の寺院だったという。のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび、66坊の末寺をもつほどであった。

空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(957〜61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。だが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(1469〜87)に領主、河野道宣公によって再建された。
本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されている。

浄土寺の山門
浄土寺の山門
浄土寺の建物その他
浄土寺の末社
浄土寺の手水
浄土寺の建物その他
浄土寺の仏像
浄土寺の末社
浄土寺の本殿
浄土寺の建物その他
浄土寺の本殿
浄土寺の建物その他
浄土寺の建物その他
浄土寺の本殿
浄土寺の末社
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to_sun
2023年04月17日(月)
191投稿

【西林山(さいりんざん)三蔵院(さんぞういん)浄土寺(じょうどじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:真言宗豊山派
開基:恵明上人
 浄土寺は、第46代 孝謙天皇(在位749-758)の勅願で恵明(えみょう)上人が開いたとされ、本尊は行基菩薩作の釈迦如来。その後弘法大師(774-835)がここを訪れ伽藍を再興し、それまで法相宗だったものを真言宗に改める。鎌倉時代には源頼朝によって堂塔が修復されたが、室町時代に兵火で焼失。文明年間(1469-1487)に再建されている。本堂はこの再建時のもので、国の重要文化財に指定されている。
 また、浄土寺は平安時代の遊行僧・空也上人とゆかりが深く、自ら彫った空也上人像(口元から六体の阿弥陀小化仏を吐いている)は国の重要文化財として本堂の厨子に安置されている。

浄土寺(愛媛県)

【49_T.Hamada's view】
 本堂と大師堂

浄土寺(愛媛県)

【49_室町期に建てられた本堂】
 本堂は室町時代に建立された代表的建造物(現存)。簡素ながら重厚感ある佇まいは、当時、京で栄えた東山文化に通じる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

浄土寺(愛媛県)

【49_本堂】

浄土寺の建物その他

【49_大師堂】

浄土寺(愛媛県)

【49_仁王門】

浄土寺の山門

【49_御衣黄桜(ギョイコウザクラ)と仁王門】

浄土寺(愛媛県)

【49_仁王阿形像】

浄土寺(愛媛県)

【49_仁王吽形像】

浄土寺(愛媛県)

【49_納経所】
 納経所への通路 アプローチが綺麗。

浄土寺(愛媛県)

【49_龍の手水舎】

浄土寺(愛媛県)

【49_牛之峯地蔵堂(浄土寺奥之院)】
 本堂向かって左側の「阿弥陀堂」「愛染堂」の裏側を登る。

浄土寺(愛媛県)

【49_牛之峯山四国八十八ヶ所(浄土寺奥之院)】
 八十八体の石仏が整然と並んでいる。

浄土寺の御朱印
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浄土寺の基本情報

住所愛媛県松山市鷹子町1198
行き方

久米駅 下車(0.4km)
48【西林寺】より
(自家用車)約10分 約3km
(徒歩)約50分 約3km
50【繁多寺】より
(自家用車)約5分 約2km
(徒歩)約25分 約1.5km

アクセスを詳しく見る
名称浄土寺
読み方じょうどじ
参拝時間

7:00~17:00

トイレ仁王門の横
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号089-975-1730
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

伊予十三仏霊場

第2番

御本尊:釈迦如来

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊釋迦如来
山号西林山(さいりんざん)
院号三蔵院(さんぞういん)
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代天平勝宝年間(749〜757)
開山・開基恵明上人
文化財

本堂、木造空也上人増(重要文化財)
不動明王像(松山市指定有形文化財)

ご由緒

境内入口に正岡子規の句碑「霜月の空也は骨に生きにける」が立つ。浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺である。腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖である。
この空也上人像を本堂の厨子に安置する浄土寺は、縁起によると天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇(在位749〜58)の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩(668〜749)が彫造した釈迦如来像を本尊として祀り、開創された。法相宗の寺院だったという。のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび、66坊の末寺をもつほどであった。
空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(957〜61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。だが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(1469〜87)に領主、河野道宣公によって再建された。
本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されている。

体験御朱印重要文化財札所・七福神巡り

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