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西岸寺ではいただけません
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さいがんじ

西岸寺のお参りの記録(1回目)
愛知県三河安城駅

投稿日:2023年02月08日(水)
参拝:2023年2月吉日
たま~にあるんですよね、参道、本堂を取り巻く木々、本堂、青い空。これらが、がっちりはまって絵になる一枚が撮れることが。
西岸寺の山門
西岸寺の建物その他
西岸寺の建物その他
西岸寺の建物その他
西岸寺の本殿
西岸寺の本殿
西岸寺の本殿
西岸寺の建物その他
西岸寺の建物その他
西岸寺の像
松林了観(まつばやしりょうかん) 1862(文久2)~1932(昭和7)年。福釜西岸寺の第14代住職。
松林了観は、碧海郡福釜村で了響の長男として生まれました。京都本山の上等教校を卒業し、1888(明治21)年、28歳の時福釜へ戻りました。その時の青年の姿や農村の状況を見て、暮らしの改善や農村の振興を図るには青少年への教育が必要と考え、修身、国語、漢文、理科などを寺の本堂で教えることにしました。まずは数人の青年を相手に、農閑期隔晩2時間の教育を始めました。5年後には、隣村の古家を購入し、寺の境内に学舎として移築しました。了観の指導はかなり厳しかったそうで、大声で叱ることもあったようです。そんな時、なだめすかすのは奥様である「ちよの」だったようです。生徒には、勤労や節約を勧め、毎月、貯金をさせました。こうして青藍夜学校は約30年間、1918(大正7)年、安城町立実業補修学校の開設まで続けられて270名ほどの青年が学び育ちました。
(『安城生涯学習まちづくり企画人』より)
西岸寺の建物その他
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すてき

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