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龍安寺ではいただけません
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りょうあんじ|臨済宗妙心寺派

龍安寺
京都府 龍安寺駅

拝観:8:00〜17:00(12月1日〜2月末:8:30〜16:30)
朱印受付:9:00〜16:00

龍安寺について

知れば、楽しさ倍増!枯山水の秘密とは?


不思議なことに、この石庭はどの角度から眺めても15個の石のうち必ず1つは他の石に隠れて見えないようになっています。
しかしながら、室内の1点からは15個すべてをみることができるともいわれています。
訪れたときに、ぜひ探してみてください。見つけることができるかも…

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みち
2022年11月20日(日)
198投稿

世界遺産で有名なお寺なので、説明は簡単にいたします。
龍安寺は臨済宗妙心寺派の寺院。開基は細川勝元、開山は義天玄承。有名な石庭で知られる。

仁和寺から歩いても良いと思っていましたが、運良くバスが来たので、御室仁和寺から乗り、竜安寺前で降りました。

龍安寺の自然
龍安寺の山門

山門

龍安寺の庭園

落葉が綺麗ですね😃

龍安寺の自然
龍安寺(京都府)
龍安寺(京都府)
龍安寺(京都府)

由緒書き

龍安寺の建物その他
龍安寺の建物その他
龍安寺の庭園

有名な石庭ですね😃

龍安寺の庭園
龍安寺(京都府)
龍安寺(京都府)
龍安寺(京都府)
龍安寺(京都府)

弁当はいけませんね(笑)

龍安寺(京都府)

納骨堂

龍安寺(京都府)

御朱印(直書き)
御朱印も石庭です!

龍安寺(京都府)

参道途中で精進丼を頂きました。
湯葉が濃厚で美味しかったです‼️

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歴史

「石庭」として知られる枯山水の方丈庭園で有名な龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺一円は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地に山荘を建立した。この山荘を細川勝元が譲り受け寺地とし、初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。
龍安寺は、開基細川勝元らと守護大名山名持豊(宗全)らが争った応仁の乱(1467-1477年)によって焼失するが、勝元の子の細川政元と4世住持・特芳禅傑によって、明応8年(1499年)に再興された。寺では特芳を中興開山と称している。その後、織田信長、豊臣秀吉らから寺領を付与されている。
絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)である『都名所図会』(安永9年(1780年)刊行)を見ると、当時、龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名であった。 寛政9年(1797年)に京都奉行所へ提出された古地図には23か寺の塔頭があったが、寛政9年(1797年)の火災で方丈、仏殿など主要伽藍が焼失したため、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とし、現在にいたっている。
その後、明治初期の廃仏毀釈によって衰退するが、イギリスのエリザベス2世が1975年に日本を公式訪問した際、龍安寺の拝観を希望し、石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道された。そのため、昨今では世界各地での日本のZEN(禅)ブームと相俟って、世界的にも知られるようになった。

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龍安寺の基本情報

住所京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13
行き方

京福電鉄「龍安寺駅」より徒歩7分
JR・近畿日本鉄道 京都駅から市バス 50番系統 立命館大学前下車 徒歩7分
阪急電鉄 大宮駅から市バス 55番系統 立命館大学前下車 徒歩7分
京阪電鉄 三条駅から市バス 59番系統 龍安寺前下車すぐ

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名称龍安寺
読み方りょうあんじ
参拝時間

拝観:8:00〜17:00(12月1日〜2月末:8:30〜16:30)
朱印受付:9:00〜16:00

参拝料

大人500円、小中学生300円

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号075-463-2216
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.ryoanji.jp/top.html

詳細情報

ご本尊釈迦如来
宗旨・宗派臨済宗妙心寺派
ご由緒

「石庭」として知られる枯山水の方丈庭園で有名な龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺一円は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地に山荘を建立した。この山荘を細川勝元が譲り受け寺地とし、初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。
龍安寺は、開基細川勝元らと守護大名山名持豊(宗全)らが争った応仁の乱(1467-1477年)によって焼失するが、勝元の子の細川政元と4世住持・特芳禅傑によって、明応8年(1499年)に再興された。寺では特芳を中興開山と称している。その後、織田信長、豊臣秀吉らから寺領を付与されている。
絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)である『都名所図会』(安永9年(1780年)刊行)を見ると、当時、龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名であった。 寛政9年(1797年)に京都奉行所へ提出された古地図には23か寺の塔頭があったが、寛政9年(1797年)の火災で方丈、仏殿など主要伽藍が焼失したため、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とし、現在にいたっている。
その後、明治初期の廃仏毀釈によって衰退するが、イギリスのエリザベス2世が1975年に日本を公式訪問した際、龍安寺の拝観を希望し、石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道された。そのため、昨今では世界各地での日本のZEN(禅)ブームと相俟って、世界的にも知られるようになった。

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