御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年6月
本重寺ではいただけません
広告
御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
-

本重寺について

御首題は南アルプス市長明寺で頂けます。

山梨県のおすすめ2選🎏

広告
名称本重寺
読み方ほんじゅうじ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご本尊一塔両尊四士
山号新叡山
宗旨・宗派日蓮宗
文化財

本重寺板本尊
縦78.3センチメートル、幅41.1センチメートルで用材は桂である。弘安5年(1282年)に日蓮が日興に与えたものと同じ様式で、正中2年(1325年)に秋山与一光定に日興が与えたものといわれている。

ご由緒

この城は小笠原次郎長清の孫、上野六郎盛長がここ上野の地に築いたもので、上野城といったが附近に椿が多いところから椿城と呼ぶようになった。
その後、武田十世信武の二男信明が観応年間(南北朝時代)、大井庄を領有し武田大井氏として栄えた。その六世大井上野介信達がこの城に拠った。信達は、武田信虎の正室で、晴信(信玄)の生母大井夫人の父親である。また信達は大井宗芸、武田高雲斎と号し、冷泉為和卿集にあるように和歌を善くし、永正3年に飛鳥井雅康より「八代集秀逸」を授与されており京都に学んだこともうかがえ、文亀、永正、大永年間の武将であり、晩年は晴信の外祖父として重きをなした人である。
尚、本重寺は信達の法名、本習院に由来するといわれている。
(看板より)

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ