かいのくにいちのみやあさまじんじゃ
甲斐國一宮 浅間神社のお参りの記録一覧(3ページ目)
美和神社(二宮)のあと浅間神社へ。さすが一宮、鳥居の西側にある駐車場はほぼ一杯。一宮の御朱印帖を集めることにしたので御朱印をいただき、初めのページに御朱印を書いていただきました。
甲斐国一宮浅間神社は山梨県笛吹市一宮町一宮に鎮座している神社です。甲斐国一宮浅間神社の創建は垂仁天皇8年(紀元前90)に現在の山宮神社の境内付近に木花開耶姫命・大山祇命・瓊々杵命の3神が勧請されたのが始まりと伝えられています。社伝によると貞観6年(863)の富士山が大噴火し周辺が大きな被害を受けた為、、貞観7年(864)に噴火を鎮める為に木花開耶姫命の分霊を現在地に遷座し祀られるようになっています。
一方、三代実録によると噴火を鎮める為に、貞観7年(864)に伴直真貞を祝、伴秋吉を禰宜として遣わし、八代郡家以南に浅間明神(花開耶姫命の分霊)の祠が建立されました。しかし、中々噴火が収まらなかった為、同年に壮麗な社殿が造営されると治まった事から官社に列する事になり、さらに同年に山梨郡にも浅間明神の社殿が造営されています。
その為、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳で名神大社として記載され後に甲斐国の一宮として格付けされている神社は山梨郡に境内を構えている当社の他、八代郡に鎮座している一宮浅間神社(山梨県西八代郡市川三郷町)、都留郡(旧八代郡の一部)に鎮座している河口浅間神社(山梨県南都留郡富士河口湖町)がそれぞれ自称しています。
ことの真偽は不詳ですが、当地は甲斐国府が近かった事から国の祭事などを司るようになると、歴代の為政者や領主に崇敬されるようになったと思われます。甲斐国府の正確な位置ははっきりしませんが、当社の周辺には甲斐国分寺跡や甲斐国分尼寺跡、甲斐奈神社(甲斐国総社)など当時の中心施設の史跡が点在し、地名「国衙」付近にあったという説があります。
今年の年始に参拝して以来の一宮参拝です笛吹市一宮町に鎮座する浅間神社は、富士山に対する信仰に始まり、駿河国や甲斐国を中心として各地に奉斎された浅間神社の一つ。甲斐国の一宮として崇敬され、一宮浅間神社、甲斐国一宮浅間神社などと通称される。
浅間を「せんげん」と読む神社が多いが、当社のように「あさま」とするのが本来の読み方である。「あさま」の語源については諸説あるが、長野県の浅間山のように火山を意味するのではないかと考えられている。
社伝によれば、垂仁天皇8年(B.C.22)に神山の麓、摂社・山宮神社の地(笛吹市一宮町一ノ宮1133)に鎮斎されたという。
貞観6年(864)富士山の大噴火があり、翌貞観7年(865)12月9日現社地に遷座した。『日本三代実録』貞観7年12月9日条に、甲斐国八代郡の浅間明神の祠を感謝に列し、祝・禰宜を置いて随時祭を行わせたとあるのが当社のことであるとされる。延喜の制では名神大社に列せられた。
ただし、『三代実録』の記事については、同じく『三代実録』同月20日条の山梨郡でも浅間明神を祀らせたという記事が当社のことであるとする説もある。また、八代郡の浅間明神祠・式内名神大社に、富士河口湖町の河口浅間神社もしくは市川三郷町の一宮浅間神社を当てる説もある。
中世には甲斐国一宮として崇敬を受けた。鎌倉時代には幕府の崇敬を受け、建久5年(1194)社殿の修復があったという。天文19年(1550)4月には後奈良天皇が国土安穏万民和楽のため、御宸筆の般若心経を奉納されている(国の重要文化財)。
武田氏も深く当社を崇敬し、武田信玄は天文19年(1550)一宮郷で20貫文の社領を寄進した。さらに弘治2年(1556)信濃国筑摩郡小松郷(松本市)の10貫文、元亀3年(1572)駿河国富士郡押出村の15貫文を寄進した。また、二宮・美和神社や三宮・玉諸神社、武田八幡宮などとともに府中八幡神社への参勤を免除されていた。
天正10年(1582)武田氏に変わって甲斐を領有した徳川家康も当社を保護し、200貫文の神領が安堵された。慶長8年(1603)四奉行黒印で社領234石2斗と神主屋敷分2,079坪が許され、さらに寛永19年(1642)徳川家光より234石2斗の朱印地を安堵された。
甲斐國一宮
春日井駅、山梨駅、勝沼ぶどう郷駅どこからも徒歩1時間ちょいのところに居られます。
国道20号線沿いなので車などで行かれるのが良いと思われます。
参拝者さんが写らないように拝殿も上のほうだけで。
国道から一の鳥居が見えます。大きいな~って思っても全国の一の鳥居を比べてみるとここより大きいのって結構あるんですよね。
手水舎にはアヒル隊長が。
花手水ではなくビー玉というのがまた洒落てますよね。
狛犬さんです。
胸高さんですね。
拝殿向かって右奥で十二支巡り。
自分の干支、ネズミさんに挨拶。
なんか不思議な形ですね。
キノコも生えてます。
随身門です。
甲斐國一宮、浅間神社です。
厳かな雰囲気です。
ご祭神はコノハナサクヤヒメ(天孫ニニギの奥さん)ですね。
拝殿
本殿は木に囲まれており、
よく見えません。。。
境内にある陰陽石は男女のアレですね🤭
直に書いて頂きました!
悪病退散の特別ご朱印も頂きました!
(書き置きです)
山梨の信玄餅工場から、一ノ宮の浅間神社へ…
車で、10分ほどで神社です。
バイパスから曲がるところに大きな朱色の鳥居があり目印になります。
コロナで、また平日でもあり参拝のかたは僅かでした。
本来の参道がどれなのかは判りませんが、拝殿は横に【東を】向いてます。
拝殿の奥に「干支」の石像が12体並んでいて、今年の干支、私の干支を
お参りしました。
一回りの後に、御朱印をお願いに行くと書き置きかと思いきや、
書いて頂けるとのこと。
元気な字体の御朱印を頂きました。
門をくぐったところから見る拝殿です。
梅の花ですかね…
この先に干支の石像が並んでます
干支の説明
元気な字体の御朱印です。
山梨県のおすすめ2選🎏
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
6
0