御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

じそんいん|高野山真言宗万年山

慈尊院のお参りの記録一覧(2ページ目)
和歌山県 九度山駅

ハマの「寺(テラ)」リスト
2022年05月23日(月)
2848投稿

九度山は、高野山表参道口で古くから宿泊客や参拝客で賑わっていました。
その由来は、弘法大師が月に9度高野山上より20数キロの山道を降りてきて母公を訪ねてきた事からと言われています。

南海高野線九度山駅からは、徒歩20分。高野山金剛峯寺を総本山とする真言宗寺院。
ご本尊は弥勒菩薩です。

817年の創建。弘法大師が高野山開創の際、参詣の要所地に表玄関の伽藍を造り、
そこでは庶務を司る政所を設置しました。
そこでは宿所や冬季避寒修行の場とされてきました。

弘法大師の御母方である玉依御前は、我が子か開いている「山」を一目でも見たいと一念し、ご高齢でありながらも当寺院へ参られました。

しかし、高野山は女人禁制の「山」ということで山頂へ叶う事はできず、入滅後、
弘法大師は、母公が弥勒菩薩になられた霊により、お廟を建てて、自作の弥勒菩薩と共に安置されました。

現在の建物は1477年に移築されました。それ以降、「女人高野」ということでお参りはここまでとなり、現在でも「子宝、安産、病気疾病」等を願って祈願する参拝者が訪れます。

今回は、「ホトカミ 女人高野」巡りの縁で約33年ぶりの参拝です。
その訳は「ゴン」のところで。

境内は、女性らしい優しさとおおらかさを兼ね備えた雰囲気に感じ。
ゆったりとした寺院を醸し出していました。

慈尊院(和歌山県)
慈尊院の建物その他
慈尊院の山門

山門です。

慈尊院の建物その他
慈尊院の建物その他

山門に続く築地塀。

慈尊院の山門
慈尊院(和歌山県)

弘法大師堂です。

慈尊院(和歌山県)
慈尊院(和歌山県)
慈尊院の手水
慈尊院の建物その他
慈尊院の建物その他

多宝塔です。

慈尊院の塔
慈尊院の本殿

納経所、本堂と一緒の建物です。

慈尊院の本殿
慈尊院の本殿

本堂です。

慈尊院の建物その他
慈尊院の自然
慈尊院の建物その他

乳型のお守りとなっています。

慈尊院(和歌山県)
慈尊院の建物その他

中庭はゆったりとした感じです。

慈尊院の建物その他
慈尊院の末社

弁財天が祀られています。

慈尊院の庭園
慈尊院の建物その他

みくじ石。

慈尊院の像

弘法大師像に仕えているのは、案内犬の「ゴン」です。

ゴンは、白い雄の野良犬です。昭和60年代にここに住み着いては誰が教えたわけでもなく、高野山への参詣者を案内するようになり、朝には出発して、夜には戻ってくる様になりました。

最初は九度山駅からガイドするようになり、のちに慈尊院から高野山へと案内犬として勤めてきました。

実は今回の慈尊院への目的は、会社仲間と高野山へのハイキングの際にお供した経験があり、お参りも兼ねての参拝です。約30年以上の話でこの頃は老犬で、案内としては晩年の話です。

ちなみに、慈尊院の「鐘」をよく好み、鐘がゴ〜ンと鳴るところから「ゴン」と付けられたそうです。

弘法大師にも案内犬の伝説があったところから再来とも言われていたそうです。
また、現在でも「カイ」という犬がおり、晩年「ゴン」と一緒に飼われていました。こちらはガイドはしません。

このゴンのお話は、童話にもなっています。

慈尊院の仏像
慈尊院の建物その他
慈尊院の御朱印

いただいた御朱印です。

書体も女性的な優しさの文字です。

もっと読む
湯守りと妖怪
2020年12月19日(土)
41投稿

女人高野・弘法大師母公の寺、古くから女性に深く親しみのある寺として有名。
高野山開創時に公家や幕府の家政・政務・財政を司った機関であり、中世から近世にかけて一大勢力だった高野山の中枢である政所が置かれていた場とされています。
1540・1544年の紀ノ川の氾濫により塔堂が流され紀ノ川床となったと。
当時の慈尊院は今の場所より北側にありましたが、弥勒堂だけは今の場所に移してあったと。
大師は月に九度は必ず高野山より二十数キロもの山道を下って母公を訪ねられたので、この地名を九度山と称されるようになったと、それだけ頻繁にということでしょうね。

慈尊院の建物その他

表門横の土塀、一見手入れがなされていないように見えますが、砂入りの粘土を突き固め積み上げた技法で、県文化財になっており境内周囲250メートルにおよびます。

慈尊院の塔

多宝塔 室町時代後期の三重塔から江戸時代前期に多宝塔に造り替えられた、貴重な建造物だそうです。

慈尊院の本殿

本堂に見えますが拝堂です。

慈尊院の本殿

本堂弥勒堂前え。お堂自体が弘法大師の母公の霊廟であるため、大師を産んでくれたお母さまにお願いすれば願いが叶うと、安産・授乳・育児を願う乳房の民間信仰によりいつしか今の風景に。
秘仏の木造阿弥陀如来像の御開帳は21年に1回、大師の命日が21日にちなむと。

慈尊院の建物その他

官省府神社へ向かう階段の横に180町石があります。慈尊院から高野山へと通じる180町(1町は109m)の表参道・高野山開山のおり空海が木製卒塔婆を建てて道しるべとしました。
鎌倉時代にには覚きょう上人の発願により20数年かけ、朽ちた卒塔婆の代わりに石造の五輪塔形の町石が一町毎に建てられた。
空・風・火・水・地の五要素を宝珠・半月・笠・円・方形に形どったものが五輪塔で梵字で空風火水地を意味する言葉が刻まれており、かっては町石ごとに足を止め祈りを捧げたといいます。
現在も山中の寺社に多くみかけますが、様々ですね。

もっと読む

和歌山県のおすすめ🎏

広告
行きたい
投稿する
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ