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ふそうきょうたいし

扶桑教太祠の御由緒・歴史
東京都 明大前駅

ご祭神主斎神  大祖参神―おおみおやのかみ―  (天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産大神) 配合神  天照皇大神、月夜見大神、木花開耶姫大神、  彦火瓊々杵大神、天神地祇八百萬神
ご由緒

冨士道開祖角行(かくぎょう)は戦国の乱世を憂いた父母の泰平への祈りの中から生を受けた。天下が麻の如く乱れ、苦しむ人々を救うのは神の力の他はない、と開祖が故郷の肥前国(長崎県)から諸国修行の旅に出た永禄元年が「天地平安・萬人安福」を真願とした扶桑教開教の年である。常陸を経て奥州達谷窟で修行中の永禄3年、神告を受け冨士西麓人穴(静岡県人穴村)に至り、生涯の修行地と定めさまざまな大行を積み、爪先立ち一千日大行の満願のとき「仙元宮」(せんげんぐう)の神示を受けて「角行」という行名を授かる。霊峰冨士山は、日本の中心にそびえ、又日本大地全体が東の天に向かって合掌した姿をし、その頂上こそが万物の根源であり「もとのちちはは・仙元大神」との結霊を戴ける場所である、と角行は山頂をめざして登拝修行を重ねる。
 元亀3年6月3日、角行32歳のときに初めて冨士山頂で北辰を拝し大神との結霊を直受、「我は神 まなこは日月 息は風 海山かけて わが身なりけり」という、山岳崇拝宗教とは類を異にする独自の神観・宇宙観・人生観を展開して冨士神法を興す。その間多くの御文句・御神語を拜受した角行は元和6年80歳のとき、人穴で受けた神告「仙元宮」の御神鏡を謹製奉鎭、その後正保3年106歳で一生を終えるが、御神鏡は角行が全身全霊を以て御神威を籠めた「御神実(みかむざね)」として現在本部太祠に奉斎している。角行は全生涯を修行に徹したので血統は無いが、その教法・行法は代々弟子たちに受け継がれて行く。別立六世食行(じきぎょう)は当時江戸幕府の施政に独自の教義を以て立ち向かい、享保18年冨士山烏帽子岩で即身入定を果たす。
 その後この信仰は「江戸八百八町に八百八講あり」とまで言われる程隆盛を極める。しかしその教えは治世に反抗するとされ、寛保2年から嘉永2年の大弾圧を経て約百年間、布教禁止を余儀なくされることになる。
 教祖宍野半(ししのなかば)は薩摩国(鹿児島県)に生まれ、明治になり官弊社となって初の宮司として駿河国(静岡県)と甲斐国(山梨県)の浅間神社に赴いた。そこで弾圧されながらも登拝修行をする講社の人々の姿を見つつ、自らも冨士山に登拝して仙元大神の神威を感じる。先達たちの懇願に応えて冨士道復興の志を立て、明治6年「冨士一山教会」の設立を決心、当時邪教視されていた冨士道の神道化を図り官職を一切辞して、「冨士山・日本」を意味する「扶桑」を教団名として一派特立に心血を注ぐ。明治15年5月、勅許により「神道扶桑派」として特立、同年11月には「神道扶桑教」と改名の認可を受けて開祖以来の冨士道統。「他のために祈る」欺道はここに教派神道の一派として確立される。

(教派連HPより引用)

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