真言宗 豊山派明王山
宝仙寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
〜ここ迄読んで、中野・宝仙寺 本堂で瞑想。
〜お寺の事務所改修工事中だった。大師堂が事務所になっていた。
天竺の仏さまと糸でつながっいる、阿字観瞑想。
本堂で数を数えると外の飛行機の音が気になる。
羽田空港の旅客機の騒音問題これ、中野区と練馬区周辺の社会問題なんだ。
自分自身でどうする事ができない問題。
糸は天竺の佛さまと繋がると云うより、因縁なんだ。
中野の宝仙寺に祖父や伯父さん伯母さん
霊魂眠っている。江戸時代からのご先祖が預けられている、親戚によって。
だけれども、因縁と言って諦め無いで、かえられなくても“変えよう”と云う努力が必要なのかも知れない。
DNAや身体は変える事が難しい、けれども、“想念”は変える事可能なのでは無いか。
マスクで呼吸を数えるのは初めてだけども、“緊急事態宣言中”YouTube等の
“映像”観ながら、数息観をやっていたけれども、本堂で瞑想すって有り難い。
インターネットも必要だけど、こう云う、オフ会の瞑想の会ももっと必要だと
心から感じられた。
宝仙寺の名前の石碑の入口にて
境内から山門。
寺事務所が工事中の為、本堂の横から直接入る
聖徳太子さま像(阿字観瞑想の後)に挨拶。
沢山の佛さまの上の上に佛さま。歴史感じる。八十八大師塔。今までお遍路さんする人の心があつめられていらっしゃる患者。
4月8日は、花まつり(お釈迦様のご生誕をお祝いする日)
宝仙寺さんでは、4/1~4/8迄、本堂前に花御堂をおまつりされていて、参拝者も灌仏(お釈迦様の仏像に甘茶をかけること)させていただけます。
お釈迦さまの誕生仏に甘茶を灌ぐことで『潅仏会(かんぶつえ)』とも言われるそうです。
甘茶を灌ぐのは、お釈迦様がご誕生になった時、天から甘露の法雨が降ったことに由来されるとのこと。
私も甘茶を灌いでお参りさせていただきました🙏
今日は昨日からの強風と雨模様。人を避けるため、敢えて今日、お参りに行ってきましたが、
予想通り誰もいなくて…ゆっくり出来ました。
コロナが無ければ、参拝者も甘茶やお菓子を有り難く頂けた花まつりですが…
コロナで色々なことが制限される日々は、まだまだ続きます…。
度々訪れる宝仙寺へ。
【武州多摩郡中野明王山聖無動院宝仙寺縁起】によると、宝仙寺は、平安後期の寛治年間(1087~94)源義家によって創建されたそうです。
青梅街道から「宝仙寺前」の信号を入ると、直ぐに立派な仁王門が見え、広い境内はとても静かでたくさん見所があります。
御朱印は以前頂いたので、前回の投稿にアップしています。
山門(仁王門)
御本堂
御影堂
御影堂前に安置されている日輪弘法大師の標識
本堂西側の八十八大師塔
本堂西側にある供養塔
三重塔裏に。引導地蔵尊坐像
臼塚、三重塔
十年以上前からずっと拝みたかった“節分会柴燈大護摩供”をやっと拝めた。
16時から17時くらいまで行われた。
始まる前に 祈願札と 此処は檀家なので伯父さんの命日2月であるから
お塔婆も三千円で申し込んだ。
いつもは町内会商店街をめぐったりする行列があるらしいが
コロナウイルスワールド対策で無し。
節分会でもあり高い所から豆撒きして
近所さんの子ども達が拾ったりするのだそうな、それもコロナ対策で無し。
お護摩だけの方が厳かな感じで良かった。
節分会 柴燈大護摩供 龍神さまがコロナウイルスさんと闘う感じした。
昔の住職さまが真田家の遠い御親戚さまだったので六文銭を掲げていらっしゃる。
青梅街道を中野坂上から荻窪方面に行くと、『宝仙寺』と言う信号があり、青梅街道からも、立派な仁王門の山門が見えます。
阿・吽一対の仁王像は、迫力あります。
本堂には、拝見したことはありませんが、鎌倉期の不動明王を中心に五題明王像が安置されているそうです。
広い境内は気持ちよく、三重の塔、臼塚などもあります。
写真にはありませんが、中野町役場跡碑があり、明治28年から昭和の初期まで、中野町役場が、また区役所が、境内にあったそうです。
鐘楼は平成28年に再建されたもので、鏡餅をズームで😊
御朱印は、以前いただいたものです。
御朱印は、以前いただいたものです。
本日母親の代行で寺に“おとうば”とりに行った(一体三千円)。
中野の宝仙寺でお正月と節分に毎年柴灯護摩(採灯護摩)焚いているらしい。
お正月元旦午前11時にやるらしい。檀家の杉並の家にはお知らせしているらしい。分家の分家なんで知らなかった。いや、数年前チラッと聞いた気がしたが
スルーしていたかも??
中野区内で狭いが、柴灯護摩(採灯護摩) 消防の許可取れたんだそうな。
元旦だと初護摩。今回コロナウイルスだからどうなるかみたいな?と想われた。
中野宝仙寺はもともと中野区役所あった所で、
あの狭い所こじんまり小さいと想ふが柴灯護摩(採灯護摩)観てみたい。
今宝仙寺ホームページみたらあった。
関東三十六不動尊霊場 第15番札所 宝仙寺
『武州多摩郡中野明王山聖無動院宝仙寺縁起』によると、宝仙寺は 平安後期の寛治年間(1087~94)源義家によって創建されました。
このとき義家は、奥州・後三年の役を平定して凱旋帰京の途中にあり陣中に護持していた不動明王像を安置するための一寺を建立したのでした。
その地は 父頼義がかつて祭祀した八幡社のある阿佐ヶ谷の地でこの造寺竣成の時、地主稲荷の神が出現して義家に一顆の珠を与え「この珠は希世之珍 宝中之仙である是を以って鎭となさば 則ち武運長久 法燈永く明かならん」と言いおわるや白狐となって去りました。
これにより山号を明王山、寺号を宝仙寺と号したと伝えられます。
また、鎌倉時代には相模国大山寺の高僧願行上人が当寺を訪ねられ、本尊の不動明王像をご覧になってその霊貌の凡常でないことに驚かれ、あやまって尊像を穢してはいけないと厨子の奥深くに秘蔵せられました。
平素の拝礼には別の不動明王像を刻してこれに当てさせました。
その後、室町時代には当寺中興第一世聖永が現在の地に寺基を遷しました。
江戸初期の寛永13年(1636)には三重塔が建立され、江戸庶民にも親しまれ歴代将軍の尊崇もあつく御鷹狩りの休憩所としても有名でした。
宝仙寺の大伽藍は昭和20年の戦禍により焼失。 現在の伽藍は昭和23年より順次復旧したものです。
寺号標
仁王門
鐘楼
三重塔
本堂
御影堂
関東三十六不動の3か所目は、15番札所の中野不動尊こと中野区の宝仙寺(ほうせんじ)。
戦前は中野町役場が置かれていた場所です。
山門をくぐるととても広々とした境内です。
関東三十六不動15番札所、宝仙寺・中野不動尊の御朱印です。
本堂右側の大書院で頂きます。
山門と標号
境内
宝仙寺の本堂。
鎌倉期の不動明王を中心に五大明王像が安置されおります。
中野町役場跡碑と鐘楼
宝仙寺の三重塔。
最初、江戸初期に建てられたもので、大空襲で焼けてしまいましたが、平成4年の興教大師八百五十年遠忌記念に再建されたものとのこと。
驚くことに、最初の塔の施工主は地元の農民の飯塚惣兵衛という人でした。
江戸時代に一般の人が三重塔を建てるって、すごいですよね。
その昔、中野区役所が境内にあったという宝仙寺にお参りしてきました。
広くて沢山のお堂や石碑がありました。
寺号標と山門(仁王門)
山門(仁王門)
参道
鐘楼
3年前に再建されました
中野町役場跡碑
明治28年〜昭和初期、中野町役場または区役所が境内に置かれたそう
手水舎
六地蔵と見送り地蔵
御影堂
御影堂前に弘法大師像
御影堂詳細
本堂
本堂
三重塔
三重塔
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