さいみょうじ|真言宗豊山派|独鈷山
西明寺のお参りの記録一覧
御朱印は書込の為、時間がかかりますので、参拝前に御朱印帳を渡し参拝する事をオススメします
ちなみに、私の場合は20分程度
待っている間には、無料でお茶が頂けました(茶葉急須でセルフです)
山の上にある為、車でしか参拝出来なさそうです
エンマ様
休憩所
見晴らし良好
セルフのお茶
閻魔さまのお堂があります。
閻魔さまといえば、どうしても小野篁(おののたかむら)が思い出されます。
嵯峨天皇に仕えた平安初期の官僚で、文武両道優れた方だったそうです。ただ、奇妙な行動をとる方で、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁で閻魔さまのもとで裁判の補佐をしていたという伝説があります。ここまでくると、ワクワク感半端ないのですが、最近、違う面を知ることに。つまり、遣唐副使に任ぜられたのに、ある出来事から乗船拒否したり、無類の母親考行だったり、金銭面では、無頓着だったり。
「歴史の時間」習わなかった方ですが、私の中では、気になる方です。どういういきさつで閻魔さまの補佐をなさっていたのか、聞きたいのです。🤭
笑う閻魔さまの御朱印いただきました。🙌
笑っておられますが、ちょっと怖い気も・・・。
ご本堂
正式には、獨鈷山(とっこさん)普門院西明寺。737年建立。坂東三十三観音霊場第20番。本堂厨子、三重の塔、楼門が国指定重要文化財。書き手がいらっしゃれば、“笑い閻魔”のご朱印も拝受できるとのことでした。
楼門 1492年建立
本堂
三重の塔 1538年建立
閻魔堂 1714年建立
笑い閻魔
坂東三十三観音霊場、第二十番札所。益子焼で有名な益子町の駅からは結構距離があります。こちらの笑い閻魔の御朱印は、書き手の方が不在の時はいただけないので、事前に電話してから参拝しました。歴史ある建物が建つ境内は見どころがあり、笑顔の閻魔様は珍しいです。
笑い閻魔御朱印いただきました。
坂東三十三観音御朱印いただきました。
数多くある御朱印帳から西陣織の御朱印帳を選びました。
笑顔の閻魔様
閻魔堂
重要文化財の三重塔
境内
こちらで御朱印はいただけます。広い休憩所があります。
休憩所に飾ってある閻魔様
休憩所から一望
益子町は益子焼で有名な観光地
やってきました栃木県益子町の西明寺様。
「笑い閻魔」で有名なお寺です。
閻魔参りをしている私には、念願のお寺です。
やっと来れた~😆
階段をえっちらおっちら登ります。
一気に登るのは、少々きついかも😅
立派な楼門です。
西明寺様の本堂。
ご本尊は十一面観音様。
三重塔。
弘法大師堂。
どれも古き良き趣があります。
閻魔堂。
念願の笑い閻魔様との御対面です。
格子の間から撮影。
閻魔様とお会いすることができました😆
閻魔様の右にいらっしゃるのが善童子、左が悪童子。
お地蔵様と奪衣婆様もいらっしゃるようですが、2体の童子様の陰で見えませんでした。
頂きたかった西明寺様の御朱印帳。
7~8種類ありましたが、西陣織の表紙のものを頂きました。
また江戸四十四閻魔参りをしたくなりました🤭
スタンダードな閻魔大王の御朱印。
閻魔様にはダイナミックな文字が似合う。
念願の笑い閻魔様の御朱印。
ちょーうれしい~(≧∇≦)
お昼は、境内のカフェ「獨鈷庵」で、冷やしタヌキうどん、ところてん、アイスコーヒーを頂きました。
撮影忘れた・・・
今回は真岡・益子方面へ。
まずは益子の坂東三十三観音第20番札所の西明寺にてご本尊の十一面観音の御朱印を頂きました。
そして、有名な笑う閻魔様の御朱印を頂きました。
念願だったので頂いて感激しました。
もちろん、見開きを拝受いたしました。時間も確認していただきました。
閻魔様の御朱印帳をいただきました。
いろいろ種類がありましたが、黒字に炎の閻魔様が素敵ですね。
西明寺は益子町の
別名益子観音、山号は独鈷山で真言宗豊山派のお寺です。
本堂への階段は前日に雨が降って濡れていたので滑りそうでした。
楼門は入母屋造茅葺きの楼門で1492年の建立です。
国の重要文化財に指定されています。
三重塔は1539年の建立です。
板屋根銅板葺きです。
こちらも国の重要文化財に指定されています。
閻魔堂は茅葺の屋根で笑い閻魔大王が安置されています。
鐘楼堂は宝形造り茅葺き2層の建物です。
本堂の厨子は国の重要文化財に指定されています。
ご本尊は十一面観音です。
天平年間に行基が開山したとされています。
楼門と三重塔は調和が取れて美しいです。
朝最初に参拝したのでとても清々しい気持ちになりました。
弘法大師堂・慈母観音像などありました。
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笑う閻魔様の御朱印
ご本尊の十一面観音の御朱印
御朱印帳
入口
本堂への参道
楼門
三重塔
鐘楼堂
閻魔堂
本堂
慈母観音像
弘法大師堂
三重塔と楼門
正式名:獨鈷山普門院西明寺
栃木県芳賀郡益子町にある獨鈷山の南斜面の中腹に立つ真言宗豊山派の寺院である。
天平年間(729~749)行基の開山、紀有麻呂の開基によって創建されたと伝えられる。
その後、兵火などによりたびたび焼失したが、宇都宮氏・益子氏の援助により、そのつど再建され、江戸時代には幕府から朱印状が与えられた。
益子という氏は「土佐日記」で知られる紀貫之の後代、紀一族が益子に移り住み、西明寺の地「権現平」に紀貫之を祀ったことから始まる。その紀貫之夫妻の像は現在、西明寺本堂の奥に安置されている。
また、西明寺には本堂厨子、三重塔、楼門の国指定重要文化財をはじめ、弘法大師堂、鐘桜堂、そしてユニークな「笑い閻魔」で親しまれている閻魔堂がある。
故田中雅博僧侶(医師)のお寺さん。臨床宗教者の提唱をしていた。法話を聞きたかった残念です。今年初の御朱印です。
電話での予約が必要と思われます。マスコットの閻魔大王は“おみくじ”です。
お土産です。
益子焼も近いので、“土雛”“茶香炉”という焼き物が売っている時もあります。(雛めぐり開催 要確認)
西明寺(さいみょうじ)は、栃木県芳賀郡益子町にある真言宗豊山派の寺院。山号は獨鈷山(どっこさん)、院号は善門院。本尊は十一面観音菩薩。別名は「益子観音」。坂東三十三観音霊場20番札所。楼門、三重塔、本堂内厨子が国指定の重要文化財となっている。
寺伝によると、奈良時代の737年に僧・行基により草創され、紀有麻呂(きのありまろ)により堂宇が建てられた。782年ごろには一山12坊を数えるほど繁栄し、弘法大師も来山したと伝わる。その後、兵火などによりたびたび焼失したが、宇都宮氏、益子氏の支援によりその都度再建された。江戸時代には幕府から朱印地を与えられた。
当寺は、真岡鉄道・益子駅の東南東3kmほどの高館山の中にある。伽藍のあるエリアの麓に寺務所や駐車場があり、そこから階段を登り始めるが、階段の登り始めから空気感が一変し、神聖なことこの上ない。伽藍の見どころとしては、楼門、三重塔、本堂になるが、さすが国指定の重要文化財になるだけあって、見応えは十分。味わい深く、記憶に残る。
今回は、坂東三十三観音霊場の札所として参拝することに。参拝時は週末の午前中(朝一)で、当社の御朱印が有名らしく、寺務所開門前からずっと待っている人が数人いた(参拝目的かは不明)。朝早めの時間だったにもかかわらず、伽藍を見て廻る普通の参拝者も何組もいた。
入口全景。森のトンネルを登っていく感じ。
入口の門柱。右に<獨鈷山>、左に<西明寺>とある。
階段を数段上がったところにある<水盤>。なかなかワイルド。
しっとりと苔むした階段を登って行く。山寺ならではの味わい。
階段を登り切ったところにある<楼門>。室町時代の1492年建立。入母屋造茅葺。扁額には<獨鈷山>の文字。
楼門をくぐると、正面に堂々たるサイズの<本堂>が見える。五間四方寄棟造、茅葺形銅板葺。
<本堂>は、もともと室町時代の1394年に建立されたが、江戸時代初期の火災で焼失、その後1702年に再興。
<本堂>正面。江戸時代元禄期に再興されただけあって、彫刻・彩色は華やかさがある。「西明寺」の扁額の字体も独特で味わある。
<本堂>内部。彫刻が華やかで美しい。
本堂の右側から奥を望む。鮮やかな寺院幕が緑に映える。
本堂右側にある<慈母観音像>。
本堂右手前にある石碑。
本堂近くにある<大師堂>。茅葺で古そうに見えるが平成の建立。
本堂に向かって右側にある<閻魔堂>。江戸時代1714年建立、1743年再建。寄棟造茅葺。
全国で最大級の「笑いの閻魔」(大きく開けた口から舌を長く出していて笑って見える)を安置している。
本堂に向かって左側にある<鐘楼>。江戸時代中期の建立と推定されている。二間四方宝形造茅葺。
楼門の脇に立つ<三重塔>。戦国時代の1543年に西明寺城主益子家宗が建立。関東以北で最も古い塔の一つ。
三重塔から本堂を望む。右に見えるのが<閻魔堂>、左には<鐘楼>。
楼門前から見た<三重塔>。初層は和様、二層は折衷様、三層は唐様の三様式による三間三層造り。
山を下りて来たところにある<納経所>。御朱印はこちら。
納経所内にはきれいな喫茶店がある。そこから見える益子の山々。
駐車場から寺院入口を望む。
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