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田中霊祠ではいただけません
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御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
あり

神社横に広めの駐車場あり

田中霊祠について

田中正造六つの分骨地の一つで唯一の神社

栃木県のおすすめ3選🎏

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おすすめの投稿

くし
2021年10月26日(火)
1450投稿

真の文明ハ、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし。

~田中正造~

環境について語る時、「大人が悪い!」と喚き散らすだけのグレタ・トゥーンベリさんにぜひ聞かせてあげたい言葉ですw

今日は佐野に散髪に行きましたが、午後から洗車もしなきゃならず、なんとなく寺社とかも行きたい気分ではなかったので、佐野郷土資料館に寄ってみました。(入館料220円と格安なのもあってw)
目当ては唐沢山城とツンデレ佐野昌綱公に関する資料ですが、あまり戦国時代の展示はなくやや期待外れ(´・ω・`)
(企画展示の時には天明鋳物製の信長の兜とかあったらしいですが・・・)
その代わり近代で資料豊富なのか、教育委員会とか的にも穏健テーマのこっちの方が推奨なのかw 郷土の偉人、田中正造についての展示が豊富でした。

そこで無人社なら行ってみるかということで、田中正造の分骨地の一つ、田中霊祠に行ってみることに。

少し前に「晴天を衝け」を見てて、そういえば渋沢栄一と田中正造ってモロ同時代だけど、接点とかあったんかな(・・?と調べてみたところ・・・
年は一歳違い(渋沢が年上)、どちらも実家が藍物屋で村の名士と共通点は非常に多いのですが、むしろ渋沢は足尾銅山の古河市兵衛に出資してた側だった・・・
思いっきり渋沢の黒歴史なんで、渋沢がいい人に描かれてる今回の大河に田中正造が出てくる可能性はまずなさそうだな(^^;

田中正造の分骨地というと他は全てお寺ですが、ここだけは唯一神葬祭で葬られたそうで神社となってます。
そのためか右翼の巨魁 頭山満の石碑とかあってビックリ!Σ( ̄□ ̄;)
思想的には真逆でしたが、民族派の頭山は「田中正造翁こそ真の愛国者である」と絶賛していたそうです。

田中霊祠の像

佐野郷土資料館前に立つ正造翁との出会いが今日の旅の始まり

田中霊祠の鳥居
田中霊祠(栃木県)
田中霊祠の歴史
田中霊祠の本殿

苔に覆われた参道
正造翁、鉱毒で汚染されたこの地も令和の世にはここまで回復しましたよ

田中霊祠の建物その他

入ってすぐ右に大きな石碑
「谷中村事件」「渡良瀬川」などの著者、大鹿卓の選による石碑とのこと

田中霊祠の建物その他

その奥にあった歌碑
調べてみたところ、なんと右翼の巨魁 頭山満の歌碑とのこと!Σ(Д゚;/)/

田中霊祠の建物その他

これも頭山満建立の表敬碑だそうです
「義氣堂々貫白紅」

田中霊祠の末社

さすがに新しい神社だし、建立経緯から摂社はないだろうと思ってたのですが、一社だけありました
富士二十三夜塔が立ってるので、もしかしたらこの辺りにあった月読尊か木花咲耶姫を合祀したのかも

田中霊祠の建物その他

神庫

田中霊祠(栃木県)
田中霊祠の建物その他
田中霊祠の自然

何か妙な視線を感じる・・・
と思ったら、ひょっとこかハニワのような顔がこちらを睨んでる!?Σ(; ゚Д゚)ヒィ!

田中霊祠の自然

よく見りゃ単なるシミュラクラ現象ですがw
旧谷中村民の怨念かとビビったぜ(つД`)

田中霊祠(栃木県)

すぐ南には正造翁が終生戦いつづけた渡良瀬川の土手

田中霊祠(栃木県)

田中正造というと、教科書とかで見るこのような非常に厳しそうなジイさんのイメージでしたが・・・
特に右から2番目の髪下ろしてるやつは完全に武道の師範か上忍だなw

田中霊祠(栃木県)

こんな鮮明な写真があったと知ってビックリ!( ̄□ ̄;)
中原中也みたいなフォトショ詐欺?(違w)
やっぱりずっと民衆に寄り添ってきた人だけあって、素顔はこんな好好爺だったんですね( ̄▽ ̄)

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歴史

田中正造翁の分骨5分の1とカツ子婦人を祀ってある。
田中正造は大正2年9月4日73歳で死去し、雲龍寺で密葬、惣宗寺(佐野厄除け大師)で葬儀、その後分骨式が行われた。元谷中村内に分骨(5分骨)された正造の遺骨は、旧谷中村高沙の嶋田熊吉邸内に石祠をたて、遺骨を納めて田中霊祠としてたたえまつられたが、渡良瀬川の河川改修により、大正6(1917)年3月3日に現在地に移転された。現在の建物は、昭和32年に新築されたものである。

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名称田中霊祠
読み方たなかれいし
トイレ駐車場にありますが、無人社のため使用できるかは不明

詳細情報

ご祭神《主》田中正造・カツ子夫人
ご神体田中正造の分骨
創建時代大正六年(1917年)
創始者嶋田熊吉
ご由緒

田中正造翁の分骨5分の1とカツ子婦人を祀ってある。
田中正造は大正2年9月4日73歳で死去し、雲龍寺で密葬、惣宗寺(佐野厄除け大師)で葬儀、その後分骨式が行われた。元谷中村内に分骨(5分骨)された正造の遺骨は、旧谷中村高沙の嶋田熊吉邸内に石祠をたて、遺骨を納めて田中霊祠としてたたえまつられたが、渡良瀬川の河川改修により、大正6(1917)年3月3日に現在地に移転された。現在の建物は、昭和32年に新築されたものである。

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