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逆藤天満宮ではいただけません
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御朱印
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逆藤天満宮について

藤姓足利氏の足利忠綱が、源姓足利氏の足利義兼に、妻の北条時子との不義密通の疑いを掛けられ、無実が晴れるように祈願した伝説に因む逆さ藤が残る。

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くし
2024年01月24日(水)
1450投稿

ついこの前1000件いったばかりだと思ったのにもう1100件目、半年もブランクあったのに・・・やっぱ無人社・無住寺回ってると早いっすね(^^;
これでもまだ地元足利の寺社すら半分も制覇してない、ホント日本には八百万の神様と八万四千の法門がいるのだなと改めて感心させられます(;・ω・)

さて、1000件目はつまんねーお堂で迎えたワケですがw 1100件目は近場でも良いからちょっとは名の知れた所で迎えようと鑁阿寺にでも行ってみることにしましたw
幸い鑁阿寺周辺にまだ未踏寺社が2~3あったので、これで1099件目を埋めようと選んだのがこちら。
源姓足利氏の鑁阿寺のすぐ裏にありますが、藤姓足利氏の足利忠綱公に纏わる神社です。

以前、桐生山中の皆沢八幡宮で触れましたが、史実での忠綱公は源頼朝に破れたあと西海に落ち延びて消息不明となりますが、鑁阿寺に伝わる伝承では、密かに足利に舞い戻り源姓の足利義兼公に匿われていたと云われています。
しかし藤姓足利氏を追い落として足利庄を奪いたい源姓足利氏の義兼公により無実の罪を着せられ滅ぼされてしまいます。
ここはそんな忠綱公が無実を晴らすための祈願をし、その時に持っていた藤の杖が芽吹き、立派な大木となったという伝説の残る神社。
(詳しくは由緒に登録しましたので興味のある方はご参照ください)

たしか佐野を挟んだ大平の大中寺にも七不思議の一つとして同じような「根無し藤」の伝説がありますね・・・まぁあっちはショタホモの坊さんの話ですけどwww
しかし天神様、ご先祖の藤原家綱公の無実を晴らしてくれたように、忠綱公の無実は晴らしてくれなかったようですな(´・ω・)
もっとも義兼公も首尾良く足利庄を手に入れたものの、妻の時子さんを失ってしまったのでWinWinというワケでもなかったようですが。

ちなみに鑁阿寺境内には、時子さん視点でこの伝説を伝える「蛭子堂」というのもあるのですが、これがご覧のようにほぼ隣接して立ってるんですよ!Σ( ̄□ ̄;)
偶然とは思えず、やはり怨霊鎮めとか何らかの意図があるのでは?と思います((( ;°Д°)))

逆藤天満宮(栃木県)

駐車場がないので鑁阿寺を利用、次に拝むんだからいいよねw
一旦北門から出ます。

逆藤天満宮(栃木県)

門を出てとりあえず右の方に向かう

逆藤天満宮(栃木県)

あれか? いや・・・どうもこの家の屋敷神っぽい(^^;
しかし立派な屋敷神だね~!? 普通にちょっとした神社だよこれ(゜゜;)

逆藤天満宮(栃木県)

反対方向、鑁阿寺を出て左側だった(^^;

逆藤天満宮の鳥居

鳥居

逆藤天満宮(栃木県)

鳥居横にはこんな案内板
いや、ここまで来れば見りゃわかるってばw

逆藤天満宮(栃木県)
逆藤天満宮(栃木県)

道真公、将門公、崇徳上皇には及びませんが忠綱公も立派な御霊信仰の神様ですね
義兼公も相当恐れてたんだろうな

逆藤天満宮(栃木県)

これが逆さ藤・・・らしい
鎌倉時代初期に芽吹いたにしてはなんか細いような気もするが(^^;

逆藤天満宮(栃木県)

天満宮らしく梅がいい感じに咲き始めてました♪

逆藤天満宮(栃木県)

手水、梅鉢紋が刻まれてます

逆藤天満宮(栃木県)

反対側にも瓢箪形の手水(?)あり
忠綱公や天神様と何か関係ある形なのかは不明

逆藤天満宮(栃木県)

一応授与品として絵馬があるらしい
鑁阿寺北門正面のたい焼きとか売ってるお店で買えます

逆藤天満宮(栃木県)

御朱印はないと思いますが記念スタンプあり

逆藤天満宮(栃木県)

押すかどうか迷いましたが結局押さず(^^;

逆藤天満宮(栃木県)

社殿

逆藤天満宮(栃木県)

扉の穴が梅鉢紋

逆藤天満宮(栃木県)

扁額は銅板でできてるみたい

逆藤天満宮(栃木県)

梅鉢紋の穴から覗いてみましたが、特に御神体とかは見えず

逆藤天満宮(栃木県)

これが逆藤天満宮と蛭子堂の位置関係
寺の内外の違いはあれど、これ絶対に怨霊鎮めとか呪術的な配置でしょ(゜゜;)

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名称逆藤天満宮
読み方さかふじてんまんぐう
通称逆さ藤天神

詳細情報

ご祭神《主》菅原道真公
創建時代不詳
創始者藤姓足利氏
ご由緒

この社は、足利家守護として古くから崇敬されていたものです。
祭神は菅原道真公で学問の神として人々の厚い信仰を集めております。
建久七年(一一九六)に足利又太郎忠綱が思いもよらない嫌疑をきせられ無実の罪がはれるよう祈願のおり、天満宮の社前に逆さに刺したまま置き忘れた鞭代りの藤の枝が芽をふき大木になった事から「逆さ藤天神」と呼ばれるようになりました。
足利忠綱は武勇の士で十七歳の時に平清盛から戦功を認められ上総介に任ぜられました。(神社案内板より)

【鑁阿寺に伝わる伝承】
建久7年(1196年)、鑁阿寺に屋敷を構える足利義兼が鎌倉へ滞在中、足利忠綱が鑁阿寺で留守を預かっていたが、足利義兼の妻・北条時子が妊娠したように腹部がふくれてしまった。
北条時子の侍女の藤野が、足利忠綱が不義密通を行ったに違いないと足利義兼に伝え、足利忠綱に追手がかってしまう。足利忠綱には身に覚えのない事だったが、藤野は足利忠綱に振られた腹いせに虚偽の報告を行ったという。(伝承には幾つか変種や相違がある)
その後、北条時子は身の潔白を証明するために自害し、藤野は牛裂きになったと伝えられている。
足利忠綱は鑁阿寺を抜け出す際、天満宮に無実が晴れるようにと祈願を行った後、鞍もついてない馬に乗り逃亡したといい、祈願の時に鞭代わりの藤の枝を地面に差したまま忘れていった。
するとその藤の枝は芽吹き、立派な大木となったことから、今でもその天満宮は逆さ藤天神と呼ばれている。

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