ひえじんじゃ
日枝神社のお参りの記録一覧
伊豆神社巡り④初めての修善寺、温泉も足湯さえも入らずに参拝。あんみつ食べてお土産買っておしまい。元は隣の修禅寺の鬼門で山王社、弘法大師の建立と云われています。明治の神仏分離により独立したものです。修善寺自体は観光客で賑わい、隣の修禅寺には多くの参詣者(観光客)が訪れていますが、こちらはまばら。ついでに来た感があります。私はここだけで隣は参詣しませんでした。やはり伊豆はゆっくりと1~2日かけて廻りたいものです。御丁寧な御朱印を戴いた後、急いで横浜へ所要の為向かいました。
鳥居
社号碑
参道
社号標
頼朝の弟、源範頼が幽閉されていた信功院
石段
石段上から
狛犬
手水盤
灯籠
拝殿
本殿
夫婦杉
修善寺川
子宝祈願・縁結びの神様です💓修禅寺のお隣にあり、もとは修禅寺の鎮守さまで弘法大師の建立と言われています🙏明治初年の神仏分離令で分離されたそうです😊境内には樹齢800年以上の夫婦杉や県指定文化財の「一位樫」、源範頼が幽閉され住んでいたという信功院跡(庚申塔のみ現存)があります🌿
社務所(週4日しか開いていない)が開いていましたので「一願成就のお守り」←地元産の藁を使った一点一点手作りのお守り✨をいただきたかったのですが、
残念💦品切れでした😢
お掃除の途中、手を止めて御朱印の直書きしてくださいました🙏
素敵な神社でした💓
鳥居⛩
参道✨
石の階段を登ります✨
巨石をそのまま使った手水
子孫繁栄を願う「夫婦杉」✨二本の杉の根元が繋がっています💓
境内にそびえる根周り約5.5m、高さ約25mの「一位樫」✨
花掛所🌸
源範頼が幽閉され自刃したと伝わる信功院跡✨
直書き御朱印✨
ありがとうございました🙏
夫と修善寺旅行にいきお参りしました。
目当ては竹林の小路でしたが、雨上がりでとてもキラキラしていました。
日枝神社にお参りするのは人生初です。
お参りが終わるとすぐに雷が鳴り雨が降りはじめ、車に乗ると土砂降りでした。
あまり濡れずに済んだのでありがたい気持ちも倍増です。
当然ですが修善寺プリンは買いました。
<鳥居>
<境内>
<狛犬>
<狛犬>
<手水舎>
<拝殿>
夫婦杉
<絵馬>
<授与品>
<絵馬販売機>
<由緒書>
歩いて10秒の修善寺プリン。美味しかったです♪
竹林の小路。雨上がりで誰もいないしキラッキラでした。
誰もいないなんて贅沢♪
<御朱印>
源範頼が幽閉され自害した「信功院跡」がある日枝神社
温泉街・修禅寺にある桂川より北側。修禅寺の東側に隣。
併設駐車場なし。周囲は日帰り温泉もあるので時間貸しが多数。
数段階段登って鳥居。鳥居潜って数段階段の参道を進む途中、玉依の花という絵馬みたいに願い事を書くやつが結ばれている。
参道右側には「信功院跡」の由緒と庚申塔が祀られている。
参道を進んだり左側に大きな御神木、正面拝殿、右奥に社務所。
源範頼は、源頼朝の異母弟で義経の異母兄。蒲殿。
建久四年、頼朝の誤解で修禅寺の塔頭「信功院」に幽閉され、色々戦もあって自害した。のちに信功院は庚申堂になる。
徒歩10分ほど西に進んだところに源範頼の墓がある。
弘法大師の建立。元は修禅寺の山王社。
1193年に、兄頼朝の誤解から範頼が幽閉された信功院があった場所。範頼は、その翌年、梶原景時の不意討ちを受けて自害。
信功院は後に庚申堂に。参道脇に庚申塔の碑
夫婦杉
範頼の墓。日枝神社から、10分ほど
修禅寺の近くなので、ご挨拶して来ました。
社務所は閉まっていたので、御朱印は頂けませんでしたが、落ち着いた雰囲気のお社でした。
地番変更があったようで、住所が変わっているようなので変更しました(併せてピンの位置も変更しています)。
変更前:田方郡修善寺町神戸64
変更後:伊豆市修善寺826
社号標
鳥居
扁額
自然な感じではないので、何らかの意図を持って置かれた物ではないかと
由緒書き
参道
信功院跡・説明書き
狛犬 阿形
狛犬 吽形
手水処
手水
社殿前 石燈籠
拝殿
本殿
神紋
社務所
ん~
造り的には神楽殿でしょうか?
忠魂碑
征清軍士ですので日清戦争と思われます
一位樫
一位樫の脇から道が続いていたのですが、結構急なうえ案内等もないので諦めました
何かありそうな雰囲気ではあったので、時間があれば行っていたかも
御神木 子宝の杉
絵馬掛け
御籤結び
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