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田福寺ではいただけません
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田福寺のお参りの記録(1回目)
静岡県三島二日町駅

投稿日:2021年11月06日(土)
【完・16】東向山 天徳院 田福寺(時宗)静岡県三島市谷田1665-1
本尊は阿弥陀如来
鎮守の稲荷社、不動堂改築紀念碑、棟続きの不動堂と地蔵堂、やけどよけ地蔵が並んでいます。
不動尊は六〇年に一度開帳の秘仏となっています。

時宗(じしゅう)は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派の日本仏教。
開祖 一遍上人
田福寺の御朱印
東向山 天徳院 田福寺(時宗)静岡県三島市谷田1665-1
本尊は阿弥陀如来

時宗(じしゅう)は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派の日本仏教。
総本山 遊行寺 (神奈川県藤沢市西富1丁目8−1)
田福寺の山門
入口とここが駐車場になります。
昭和59年現在地に移転した。三島市役所の向かいにあったが道路拡張のため提供。
跡地には石碑と開運稲荷が残されている。
箱根旧街道(国道一号線三谷バイパス)の入り口から東へ約500m
田福寺(静岡県)
冠木門(かぶきもん)
笠木(かさぎ)を柱の上方に渡した屋根のない門。

外側左に、明治二年に遊行五八世〇〇上人が揮毫した「南無阿弥陀仏」の名号碑が立っています。
田福寺の建物その他
冠木門下から遊行聖人御親教之宝塔と本堂を望みます。
田福寺の本殿
正面に本堂。
左側に庫裡、
右側には、稲荷社、同じ棟に不動堂と地蔵堂、やけどよけ地蔵が並んでいます。
田福寺の本殿
本堂全景
東向山 天徳院 田福寺(時宗)静岡県三島市谷田1665-1
本尊は阿弥陀如来

 本尊は行基作と伝えられてきたが、胎内に墨書があり、底部に「一六世其阿」との記載のあることから、室町時代の作と推測されている。
また、本堂内には室町時代に作られた遊行二祖陀阿上人の立像も祀られている。
田福寺の建物その他
本堂から見える景色です。
田福寺の本殿
扁額さん
田福寺の本殿
本堂を右側から、左の正面が庫裡です。
田福寺(静岡県)
冠木門(山門)を入って右側ですが、
稲荷社は文政七年(一八二四)に京都の伏見稲荷大社から勧請。
田福寺の末社
稲荷社
田福寺の建物その他
稲荷社の左は、棟続きの不動堂(右)と地蔵堂(左)です

不動尊は六〇年に一度開帳の秘仏となっています。
田福寺の建物その他
不動堂(右)まえの狛犬
不動尊の由緒
むかし、江戸へ向かう旅人が三島で病気になり、お金が尽きた。
困った旅人は、背負っていた不動尊を五円で質に入れた。
その後、病が癒えた旅人は三島を去り、不動尊はそのままになった。
やがて時が経ち、久保町にあるその質屋で原因不明の病人が出た。
修験者に見てもらうと、土蔵に放置されている仏様の祟りだという。
そこで、驚いた質屋は大正元年四月に、米一升を添えて不動尊を田福寺に奉納した。

さらに、しばらく後に、この不動尊が成田山の上人の夢枕に立ったということで、成田山から数名の僧侶が田福寺を訪れた。
そうしたいきさつのために、この不動尊の噂は三島一帯に広まり、不動講が組織された。
田福寺の本殿
斜めから
田福寺の地蔵
地蔵堂(左)横に「やけどよけ地蔵」
昭和七年にやけどのため、亡くなった五歳の男の子の菩提を弔うために、翌八年九月に建立されました。
台座部分に「火もとしのぢぞうぼさつのごりやくで やけどの痛み止りなるらん」と刻まれています。
田福寺の建物その他
 「信不信をえらばず 浄不浄をきらはず」の碑
(すべての人は南無阿弥陀仏を唱えることで極楽往生が叶う。ですから、それを信じない者であっても、どんなに穢れた者であってもお札を配るのです)
一遍上人は、すべてを捨て、遊行によって、貧しき人々や様々な苦しみに苦悩する人々の心に大きな希望をもたらしました。
「踊り念仏」という形で表現され大切に守り継がれている。

すてき

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